ほぼ毎日夢を見る。そのパターンの一つが好きだったサッカーで実力が出せないというもの。そのパターンも日々自分の変化と共に、見なくなったり変容している。
ランニングしている時は、いつも頭の中でいろんな声が戦っている。怒りだったり、やるせなさだったり、内なる妨害者の声や、いつも出せてない声がひしめき合う。
そんな中で、サッカーの一場面を妄想する。シュートを決めて、ガッツポーズをしている。バチっとパスがはまり、チームが勝つ。表現できてない何かをランニングで消化している。
ふと思い出した。中学2年生の頃、なぜか僕はサッカー部のキャプテンに指名してもらった。真面目で、取り柄といえば運動とサッカーだった。そこが生き甲斐だった。
振り返ってみると、キャプテンとしての自覚があったことなんて全く忘れていた。フィールドからチームのみんなを鼓舞することはあったけど、練習の時からチームの一人一人を気にかけて入れたかという記憶がない。
キャプテンとして、プレーでリーダーシップを出すことはできたかもしれないけれど、普段の1人間としては皆無だったな。責任感だけはあったけど。
むしろ、みんなを引っ張れなくて悩んだ経験がそういえば多かった。まるでなぜか閉じられた過去のアイデンティティー。
中学でキャプテンは重荷だったから、それこそ高校は楽だったのかもしれない。そして高校で挫折したからこそ、そっちの印象が大きくなっていた。
チームコーチングの学びの中で、自分がチームをコーチングしていく旅のその先をイメージするワークをした。
宇宙の感覚に委ねて、まずチームを見た時に、周りから自分に視線が当てられ、言葉を待たれている視線がなぜか嫌だった。
その先を見ていると、円陣になって、みんなを鼓舞している自分が見えてきた。それはとっても心地よかった。心からの声をみんなに伝えて、チームとして一体になれる感覚。それができたとしたら、なんと心地よいだろう。
もし中学校の自分に戻った時、みんなの才能を信じて、俺たちは強い、と。共に戦うことができたとしたら、なんと素晴らしいことだろう。
そんなことをふとランニングの時に思い出した。
その晩にコーチの仲間とバチェロレッテを見て、星座を勉強してるゆりちゃんが「2008年に起こったことが何ちゃら」と言っていた。
2008年は、中学2年生で、ちょうどサッカー部のキャプテンになったころだった。不思議なこともあるもんだ。