メンタル下降から始まる年始と、1年の占いと心の平安

mimizunomizuno
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噂の小田原に行き、銭湯に入って帰ってきた。電車に乗られるのが心地よかった。家に帰るのがなぜか怖い。寝て朝起きた時に、気力が湧かない自分が怖い。

案の定、日曜日を迎え気力がなかった。あー何もしたくない。寝れる分だけ寝て、体をお越し、ご飯はUber Eatsを頼んだ。あーやばいやつだ。これ抜けれんやつ。怖いやつだ。そう思っても体は重く、案の定Youtubeを見まくった。

やることが溜まっている。おそらくやってみたらすぐ終わるのに、頭なのか、体なのか、やりたがらない。

落ちるところまで落ちて、シャワーに入る。頭の中でいろんなことが巡ってはあぁー、となる。ふーん。またこれか。カッコつけていうならば、キングダムハーツの主人公のソラが、深淵に落ちていくようなそんな感覚。

年末年始は、結構人といた。家に帰り、半年前に忘れていた寂しさが帰ってきたようだった。久しぶりにハマってしまった。いつになったらこのBad Modeから抜け出せるのだろう。

いつだって、このループを断ち切ってくれるのは、何かのイベントであり、仕事である。月曜日が来て、やらなきゃいけないことが迫り、寝に寝て無理やり、周りを整えて、家を振り切り、コワーキングに来た。

ここ1週間は低気圧の下降上昇の繰り返しだったようだ。あぁ、しゃーないか。

ICFの運営委員のMTGがあり、それまでに溜まっていたWSの準備、登壇の資料整理、色々整理した。意外とすぐ終わった。あぁ何に囚われていたんだろう。コワーキングスペースに行くと、ちゃんとしている人がいて、自分もちゃんとした人に切り替わった。

実は昨日初めましてのゲシュラルトファシリテーターの方にセッションをお願いしていた。知見が素晴らしく、一流に近い方だったが、相性かタイミングか、セッションはしっくり来ずだった。これも一つのご縁だろう。

自分がコーチとして逆側になった時、クライアントも同じような気持ちになるのだろう。だからこそ、コーチはその人とは人生一度だけかもしれないというご縁の繋がりで、一瞬一瞬を大切に正対しようと思った。それで重ならないご縁なのなら、それもまたしょうがないのである。

ICFの運営委員のMTGで、いろいろ声を出して、いつもの自分が戻ってきた。いつだって自分は人というコミュニティーとエネルギー、そして仕事に生かされていることを知る。

体調管理もプロの仕事の一つではあるので、僕もまだまだ未熟だ。未熟以上に、どんな人からもまだまだ学ぶことがあるし、こういう時こそ奢った気持ちがあることに自戒したい。一方で、やってきたことにも自信を持ちたい。

よくわからない生きづらさがあるからこそ、わかる感覚があるし、それはきっとその他の人にも形は違って、きっとあるのだから。こんな気持ちを吐き出させてくれる静かなインターネットにありがとう。

・・・

気を抜くとたくさんの感情が暴れ出して制御できなくなる。そして時が過ぎると、我に帰る。あぁ、あれはなんだったんだろうと。

もっと突き抜けたい。そういう思いがある。それに反して、ケアできていないたくさんの自分がいるのかもしれない。

ICFの運営委員のチェックインでは、みんな初詣に行ったようで、それぞれの体験のシェアから始まった。教会の家庭で育ったので、初詣に行くという文化がなかった。

だから、おみくじを引くということを昔からしたことがなかったが、2、3年前から友達との付き合いで、エンターテイメントの一環として、お金も自由に自分で稼ぐようになったのでやるようなった。占いも妄信するほどではないが、人生の処方箋としても活用している。

日本人はほとんど無神論者なのに、神社に行くというのはなんとなく不思議である。

仕事があること、帰る場所があること、大切な友達がいるということ。普段過ごしていると、すぐそれが当たり前になり、軽く扱ってしまっている。食べ物があること、健やかに生きられていること、心に平安があること、頭の中がシーンとクリアなこと。

どうか、忘れそうになった時に思い出せますように。自分自身を愛し、同じように他者に対して接することができますように。人を頼り、同じように人を助ける勇気と暖かさを持てますように。

年始から、多くの事件があり、世界には知らぬところで孤独や病や、争いに巻き込まれている人がいるだろう。どうかそんな人に心から平安が与えられますように。そんなことを、日々大切にできますように。

すぐ

@sugu
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