去年独立して、デザイナーとコーチングのキャリアについてずっと考えてきた。
まず、デザイナーとしてのクライアントワークは向いていないことがわかった。そりゃそうだ。ずっとインハウスの会社で、仲間とものづくりをすることが大好きで、その中の専門性としてデザイナーというリソースがプロフェッショナル性と当事者意識を注ぐことができたからだ。
この一年、たくさんのことを学び、チャレンジできたのはデザイナーとしてのリソースがあったから。
ちゃんとプロフェッショナリズムを発揮しつつも、クライアントワークが少し辛く転職活動もちゃんとやってみたし、今後もやるかもしれない。
コーチングはクライアントありきの職業であり、クライアントの望む時間にセッションを合わせていくため、週のうちに自由に時間を配分し、調節できるのもデザイナーとしての働き方があったからだ。
その意味では、去年独立したタイミングでポーンと捨てるというのは悪手だし、今もそうである。実際そうはできないし、何周やめようと思っても、ものづくりは面白いし、学びがあるからやめられない。
だけれども、何かを極めるということにおいては、その先を見ないといけない。デザインも手段である。そして、悔しいけれど他の誰かができるのなら、譲ることは構わない。その先に見えているビジョンが同じであり、進みたい道が同じなら。
でも、コーチングにおいてはそうではない。自分の知らないことを知っている同じ土俵の人を見ると、正直ダルって思ってしまう。そうだるいし、うざいのだ。自分の知らないことを知っているのが、だるい。
その先の尊敬できる人ならまだしも、同じ駆け出しだったり、年齢が近かったりしている人を見ると、普通に悔しくなる。デザインでも悔しくなるけれど、デザインは正直創作の過程でダルイと思うことが多々あるし、大学に入ってまでも学びたいと思えない。
それは、デザインに対して敬意を払っていないわけではない。ものを作ることにおいては、考え尽くして、アウトプットを出す。そこは変わらない。ある意味で、ビシネスパーソンなのだ。
だけども、コーチングの関連の学びに関しては、劣っていると感じてしまうとそれがだるい。一言で言うと、ただの負けず嫌いである。まぁ元はサッカー少年なので...
これは別に相手に敵対意識を向けたいと言うことではない。自分自身がだるいのだ。そこまで好きなのなら、もっと情熱を注げるはずだ。わからないことにも飛び込めるはずだ。
その意味では、もうレールはとっくに外れているのだから、道を外れ、狂わないといけないのかもしれない。
あまり声を大にしては言えない。親しい人にしか言わないことを、静かなインターネットにそっと置いておこう。全は1であり、1は全なのだから。