結構前から、「尊敬」と「リスペクト」って違うよなぁと考えている。
「あの人のことはリスペクトするけど、尊敬はできない」という感じに。
「自分で言っていても何言ってんの?笑」となるし、実際他の人にも「一緒やん!」と突っ込まれた。
が、最近何となく言語化できてきた気がする。
自分の考え
リスペクトとは、「目の前の人の存在を承認することである。」一方、尊敬とは、「自分もそうなりたい。敬う気持ち。」である。ここに違いがある、
例えば、人して正直尊敬できない人もいる。だけど、その人の努力してきたこと、積み上げてきたことに対しては最大のリスペクトを持つこともできる。ただ、生き方として自分は同意できない。少なくとも、自分はそうしたくない。そう言った具合に。いわゆる方向性の違いというやつだ🎸
でも、その人はその人なりに、葛藤があったり、痛みがあったり、それを乗り越えるために努力したり、悪戦苦闘しているのである。そこに対しては、最大のリスペクトを捧げよう。
言葉の定義
尊敬の定義を調べてみた
他人の人格や行為を高いものと認め、頭を下げるような、また、ついて行きたいような気持になること。うやまうこと。
まったく自分の理解と、間違っていない。
英語のRespectについて調べてみた。
尊敬する,敬う
尊重する,大切に思う;重んじる,遵守する
なるほど。前者と後者で方向性が違うようだ。そして、後者の方が自分にしっくりくる。やはり、英語を日本語に変換した時にいくつもの意味があるし、カタカナって難しいな。
そう考えると、日本語的には「尊敬」と「尊重」と区別した方が良さそうだ。今後はカッコつけて変な英語は使わず、日本語で区別することにしよう。
尊重について調べてみた。
なるほど、とてもしっくりくる。
コーチングの「承認」と言うスキル名に対する違和感
コーチングのアプローチの一つに承認というものがある。目の前の人の存在そのものを承認する関わり方だ。
僕にとっては、「承認」という言葉はどうしてもしっくりこないのだ。英語に変換すると、「Approve」 or 「Deny」だ。
まるで、人のさじ加減で自分が世界に存在していいか、否なのか、判断されているように感じる。
承認について調べてみた。
やはり、これは許可のニュアンスに近いのだ。だから承認という言葉はしっくりこない。でも尊重する、敬意を払うというニュアンスなら理解できる。
コーチングにおける承認について調べてみた。
承認とは「そこにいることに気づくこと」
承認は英語いうとで「アクノレッジメント(Acknowledgement)」になります。語源で調べると、「そこにいることに気づく」という意味があります。すなわち、その人に光を当てることだといえるでしょう。アメリカの映画際であるアカデミー賞の授賞式で、受賞者が「I would like to acknoweldge(私はこれから次の方々を承認します)……」という言葉から始まり、関係各者の名前を次から次へと読み上げる場面がありますが、あれはまさに承認です。それは必ずしも褒めるということではなく、「この人たちがこの映画に関わってくれました」と光を当てて紹介しています。
英語で言うと「Acknowledgement」らしい。なるほど、この時点でずれている。誠に言葉って難しいなぁ。
そして語源は、「そこにいることに気づく」であり、その人に光を当てること、とな。なるほど、全くAgreeである(英語)
その人の存在そのものを承認し、尊重するということ
世界で初めて国際コーチ連盟に認定され、日本でも最も有名なスクールのひとつのCTIでは、NCRWという考えがある。これはコーチの間では、有名なスタンスである。
NCRWとは、「People are Naturally creative, resourceful, and Whole」の略であり、「人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である」というスタンスを意味する。
その姿勢で、クライアントや人と接する時、相手を承認 or 否定の物差しではなく、その人存在そのものを尊重することができる。
僕がコーチングを学んだTHE COACH Academyでも、コーチングマインドとは「人は、生まれつき満ちたりている、全体性のある存在」であるというスタンスだと紹介される。
NCRWともほとんど同じと言っていいだろう。生まれたばかりの赤ちゃんを見た時、僕らは欠けている存在だと思うだろうか?いや、この世界に生まれてきて満ち満ちとしたかけがえのない存在だと思うはずだ。
そのスタンスで人と関わる時、コーチングをさせてもらう時、目の間のクライアントが葛藤したり、友達や同僚だったら「何でそんなことするの」とか「こうしたらいいのに...」と、アドバイスしたくなったり反応してしまうことも、その人の理由があってそうしていることを見させてもらえるし、共感できるのである。
それは目の前の人にリスペクト(敬意)を払っているからである。やはり尊敬とは違うのだ。
この世界に生まれたという奇跡
人がこの世に生まれると言う可能性は、70兆分の1らしい。
ヒトの遺伝子は、46個の染色体の上に並んでいます。その46個は、父親から受け継いだ23個と、母親から受け継いだ23個が、それぞれ同じ形のもの同志ペアになっているのです。つまり、私たちの細胞は、それが受精卵として生を受けたとき、父親から23個、母親から23個受け取り、それらを忠実に複製して2セットずつ、全ての体細胞に分けていたのです。
そこで、一組の両親からは、約70兆の種類の子供が生まれる可能性があるのです。これはもう、奇跡的な数字です。まさに、あなたは70兆の中から選ばれて生まれてきた、かけがえのない一人なのです。
これは一億円の宝くじに100万回続けて当たる位の確率だそうな。人ってすごいね。
大人になるにつれ、僕らは赤ちゃんだった頃、子供だった頃を忘れて、つい否定的になってしまうこともある。
もちろん、人生には避けられないこともあるし、ブッダが人生は苦であると言ったように、生きているだけで奇跡と言われても、死にたいと思ったり、不幸だなんて思うこともあるだろう。
でも、もし余裕があるなら、少しこの可能性とスタンスに立ち戻り、今日という1日を生きられたことを祝福し、自分にも、他人にも、世界にも優しくなれたらいいな。