日記(2024/03/11) #まじ日

いつもより1〜2時間早起きしてアカデミー賞授賞式を見た。我ながら元気だな〜。仕事をしながら流しておいた。私が敬愛する中島健人さんもアカデミー賞に関わるのは5回目でさすがに慣れたもんである。私も慣れた。おそらく大きな番狂せはなく、時間通り式は終わった。

終わってしばらくしたら、助演男優賞と主演女優賞における差別的な態度がTwitterで話題になっていた。切り抜き動画も回ってきた。明らかに不愉快だったし、それ以上にショックを受けた。今さっきまで華やかなめでたい場だと思っていたところに仄暗いところがあったこと、自分が被差別者と同じ属性だったこと、流し見とはいえ初見で話題になっている態度に気づかなかったこと、まさにショックだった。

録画してあった番組を編集しながら、再度話題の箇所を見た。切り抜き動画とは幾分か印象は違っていた。前後の流れや場の盛り上がり、そこまでの態度や表情など、切り抜き動画よりは情報が多いからこそ、一瞬の動きは見逃してしまうことはあるな、と思った。気づかなかったことに対するショックはちょっと和らいだ。

念のため、もう一回見た。助演男優賞はまだしも主演女優賞は微妙なところだなとも思った。エマ・ストーンがミシェル・ヨーを振り切ったというより、ミシェル・ヨーがエマ・ストーンを導いているようにも見えた、が、手前でサリー・フィールドが止めてるってことは、やっぱり異様だったんだろうか。なんにせよ、プレゼンターであるオスカー俳優(女優)に対して失礼な態度なことは間違いないし、根底にはアジア人(もしくは有色人種)への差別意識があるような、少なくとも差別意識があると批判されても仕方ないような態度だった。Twitterでは自分も欧米で同様の扱いを受けたことがある、そういうことを感じたことがあるという旨のツイートも流れてきた。なるほど、と思った。私は島国でぬくぬく暮らしてるから、あまりに鈍感なんだな。こうなると、去年のアカデミー賞がエブエブ旋風だった意味も、キーホイクァンやミシェルヨーのスピーチの意味も、あの時感じたものとはぜんぜん違ってくる。1年ぶりに改めて偉業を実感したきっかけが、ハリウッドに依然存在する白人中心主義なのは皮肉なのかなんなのか。皮肉っていうか愚鈍なだけか。

そんな感じで、なんだかなという後味になってしまったアカデミー賞だった。

作品賞は『オッペンハイマー』。これも日本人(日本で平和教育を受けてきた者)として見た自分がどういう感情になるか興味深い。長編ドキュメンタリー賞の『マウリポリの20日間』も見たい。この辺でも上映されるだろうか。あと『関心領域』。どれもハッピーにはならないだろうけど、見ておきたいなと思った。

事前に『『なぜオスカーはおもしろいのか? 受賞予想で100倍楽しむ「アカデミー賞」 / メラニー』も読んだよ。100倍とは言わないが、解像度と「こーいうもん」がわかったのはよかった。