友人と遊ぶ。
昼頃会い、お昼を食べ、神社で厄を払う。厄と書かれた球を石に投げ当てて割ることで厄を落とすというアクティビティだった。
友達が動画を撮ってくれたのだが、私の球を投げる様が、運動のできない人のそれで、しみじみした。私としては、もっと振りかぶっているつもりだったのに、実際は、ペイッ!て感じで投げていた。
と言ったが、これはちょっと嘘で、私としては「なんかよくわかんないけどいい感じに投げている」つもりであった。振りかぶるとかそうじゃないとか、そういうことまで考えられておらず、脳→なんかいい感じ→動作のつもりでしかなかった。ゆえに、見た目は、ペイッ!て投げる人だった。つまり、目的を達成するためのイメージがまるでなく、その瞬間に存在するのはムードだけなのであった。これは、運動できない人あるあるなのではないか?
我々はよく、「イメージする通りに体が動かせない」と言われる。もちろんこれも間違っていない。が、そもそも、「目的を達成する(例:ボールを遠く投げる、早く走る、うまく受ける等)ための動きをイメージする」ことができていない。それどころか「体を動かすためにイメージが必要」ということすら理解ができていない。そのため、脳→なんかもやもや(目に見えないえいっ!)→動作、になる。もちろん、センスなんてあるはずもないので、思考がともなわない動作は、ただの不恰好に終始するのである。
相変わらずハイキューを読んでいることもあり、最近はにわかに、運動ができることへの憧れが強い。ハイキューは「運動能力にはそれなりの自信があるし」的なセリフが出てきたりもする(だからと言って天才ではないし、プロの道はさらに厳しい)。運動ができる方だ、とか、体を動かすときに苦手意識が前面に出ることなくフラットに取り組めるとか、そういうら状態ってどんな感じなんだろうか?あまりに未知だが、興味はある。ラウンドワンで、ちょっとやろうぜって言われたときに、何の抵抗もなく、「いいよ」と言えるのは、どういう気持ちなのか?
じゃあ逆に「勉強にはそれなりの自信があるし」と言えるか?いや、言えないだろう……言えない……が、「勉強したら取れる資格試験に合格する自信」はそれなりにあるかもしれない。それは能力というより、習慣とそれにより達成できた過去の経験の方に近いが、もしかして運動もそんな感じ?まぁなんとなくそのうち掴めるだろう、みたいな。
自分にない感覚を自分に引き寄せてみたが、わかるようで、わからなかった。
なまかエピ、今ならまだ間に合いますね!
まで!
テルマ&ルイーズの話も待ってます。