適応障害と診断され2ヶ月目、診察と並行してカウンセリングを受け始めた。休職まで至った原因が、恐らく仕事だけじゃないなと思ったので。今になって、子どもの頃に欲しかった言葉ばかり思い出す。もう貰えないのにね。
目標としては、昔のもやもやを理解して、前向きに納得して諦めること。ほどほどに仕事ができるように、というのはオマケかも。小さなわたしが泣かないように、大人のわたしが前に進めるように。そんな話ができたらうれしいなと。
1回目はあっという間だった。お試しで30分にしたけれど、しばらくは延長してもいいかも。そのぶん懐が痛むのは仕方ない。話を聞いてもらえるというのは貴重だ。他人の話なんて誰も聞きたくないもの。お金を払うことで、言えることもある。そういう意味では、対価を払って話をするのは気楽だったりする。
話す内容は友だちと一緒に決めた(ほんとうにいつもありがとう)。自分のことを考えるのって難しい。恐らく処世術として"嫌なことは忘れる"をやっていたようで、まるで忘却魔法にでも掛かったかのように様々なことが記憶にない。そして敢えて蓋をしたであろうそれに、触れに行くのはとても怖い。けれど、向き合わなければ、もう人間をやれないと思う。
カウンセリングの先生は若くて可愛らしい女性の先生で、下手したら同い年か年下かもと思うとドギマギした。年齢が近いとライフステージも当然似ている。仕事中と休職中、何となくそわそわした。
先生はすごく優しく柔らかく、一生懸命メモを取って話を聞いてくれた。勢いよく話すと大変だろうなあ、とメモのスピードを見ながら話した。こんな場所でさえ気を遣っている。受診のきっかけから仕事内容、幼少期について、一通り伝えたけれど、たった30分で全ては話せない。最初は仕事の話が中心になった。
話しながら自分の思考を整理していく。任される仕事が重たくなってきて、これら全ての責任が自分にあると思うと苦しかった。今日問題がなかっただけで、明日も同じか分からない。それでも人員不足だし、みんな同じ仕事をこなしている。わたしだけ投げ出せるわけもなく。つらかったのかなあ。
やればできるし、できるまでやる。結構ストイックらしい。ただ、この"やる"にはかなりの頑張りがありまして…と自分では思うけれど、まずスタートラインに立つところからの努力だし、頑張ってる感はあまり伝わらない。伝えられないともいえる。損じゃん。
聞かれて印象深かったのは"できた"という感覚はどこから?という質問。その場でパッと思いつかなくて、今までは自分で決めなくてもゴールが存在したから…?と答えた。例えば学校のテスト、部活の引退など。後から考えると少し違っていて、恐らく"自分が納得したら"な気がする。テスト範囲を1度復習してまあいいかと諦めることもあれば、部活動では周りとぶつかりながらも必死で練習した。終わりは来るとしても、そこまでの努力量は違うような。この辺は要検討。
カウンセリングはあっという間に時間が来たけれど、次は幼少期の話もしましょう、と言ってもらえて嬉しかった。これをきっかけに振り返ったり考えたり、思考の整理にはとても良い。ささくれみたいな思い出も、徐々に消化できたらなと思う。