スマホのアルバムを整理していたら、高校時代の写真が大量に出てきた。同じような写真が何枚もあり、爆笑していたり変顔だったり。画質も悪いし、謎のフィルターを使っているし。でも誰も彼もが瑞々しくて楽しそう。みんながわ通るけれど、もう二度と戻らない。当事者は何も知らずに一生懸命、その時を生きる。
高校の部活動から、いまでも付き合いのある子が数人いる。大学時代も遊んだし、わたしが地元を離れてからも、帰るたびに遊んでもらっている。集まれば昔の話をしたり、今の生活や先のこと、広く色んな話題が上がる。もちろん楽しい。大事な友だちと会えて、話ができて、先の約束もできる。とても嬉しくて、有難いこと。
けれどやっぱり、ライフステージの変化があるわけで。恋人や同棲のこと、結婚など、王道の話が進む。体質的にアルコールも飲めず、わたしは言葉少なくジュースを啜ることになる。おそらくわたしは、みんなが歩こうとしている、その道を通らない。
ちょっとは憧れる。昔想像していた、社会に出て恋人ができて結婚して〜というやつ。けれども、こんな文章を書き続ける人間が、他と相容れることは難しいと思う。あとは、こういう考えです、文章を書いていますと、自分自身が堂々と言えないこと。受け入れられないことの方がずっと怖くて、何も言えずにいる。あの子たちはきっと、驚いても笑ってくれるだろうに。
とっても大好きで大切な友だち。わたしの内面が複雑になりすぎて、遊ぼうとすら言えなくなってしまった。あんなに毎日一緒に居たのにね。その日々のことは、大事に大事に持ち続けている。わたしが変われば、また会えるかな。会おうよと言えるかな。その時には、またみんな変化しているだろうけれど。過去を懐かしんで、あの子たちの未来を聞いて、わたしの未来も話せたら。まずは、素直になることか。