なにかを象徴してしまうことがなににも象徴されないことの輪郭のハイロウを決めてしまうなら意志の確固たることも薄弱たることも無意味になってしまいませんかと問われると象徴しないことにだって象徴(symbolism)はあるよ(symbolic)と答えたいところですがその輪郭がむしろ意志を持たせ得るのだとするともうわたしの後ろに在ったものは前方へと遷移して後方を象られることから前方へ象るものが遷移していくのでわたしの記憶や行いは想像や未来に置き換わりそのため明日がわたしとなりわたしが明日を生きることになるというsymbolicな在り方だったところが明日がわたしを生きるsymbolに遷移しわたしに内在するはずの意思は輪郭の外側へわたしは内側へ向かい意思がわたしを象る(symbolism)はずがその観測方向は内側へ向かい循環し外界からの観測は不成立なことからわたしを観測するわたしの意思からわたしが生まれまた意思を象るわたしが生んだ意思に象られるわたしをわたしが観測することを象徴する意思を持つわたしが在る