あまりにもひどいことが新年早々続いていて、わたしだけどこか別の世界にきてしまったみたいにかんじる。
これって本当の2024年じゃないはず。
この感覚は、病気になって寝込んで、身体が動かなくなって、足を引き摺りながらいつもの街を歩いていた時に似ている。
わたしはルソーの『孤独な散歩者の夢想』を読んで、他人がしつらえてくれた孤独の沼にきもちよく浸りながら、自分の部屋から出ることも難しくなった身体をかかえて、ずっと夕焼けを見ていたんだった。
燃えるような綺麗な赤の中に溶けてしまいたい、と思った。
今日は新宿で火事が起こった。
石川県ではまだ冷たい避難所で夜を過ごす人たちがいるけど、そんなのおかいまなしに東京ではいつも通りに日常が始まりつつある。
生活はどんな悲劇が起こっても続いていくんだ、と行きつけのローソンの店員さんに肉まんをつつんでもらいながら思った。
それを、ありがたくも、かなしくも受け取るしかないんだ、と、Suicaでタッチして会計する。
わたしもわたしの日常を進めていくしかない、とレジ横の「令和6年能登半島地震……」の募金箱を見つめる。
きょうは冬なのにばかみたいにあたたかい、春みたいな陽射し。
わたしは冷たくない風を肩で感じながら、ジムに向かって歩き出していた。