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コインランドリーの中に恐る恐る入る。
看板には、コインランドリーの中に入って2階、とある。これで合ってるはずだ、と確認する。
薄暗く、ひとがひとりしか登れない幅の狭い階段を登ると、そこに喫茶店があった。
オトナリ珈琲はコインランドリーの2階にあるカフェだ。下は(お客さんがいれば)四六時中稼働するコインランドリーなので、2階にある喫茶店は揺れることになる。
わたしが座ったカウンターでは、目の前に置いてあったラム酒の中身が始終揺れていた。
揺れる、といっても、本当に体感で気づくかどうか微妙なもの。というか、この揺れが逆に心地よさを生んでいるともいえる。
……と書いていたが、時によって大きな揺れが来ることもある。カウンターの机がぶるぶる揺れているのが面白くて、カフェラテを飲まずに震えている机を見ていた。
体調が悪くて家でぐだぐだしていたけど、今日は外出できてよかった。
お茶の水駅周辺を今日は散歩した。
何度も散策してきているのに、ニコライ堂の中に入って見学できることを知らなかった。(入場に別途300円かかる)
中では、信徒の方が讃歌を歌っていた。信仰。わたしは一度信仰を持とうとして挫折したのだった。自分の行動規範に信仰や教義というものが入ってくるのが耐え難かった。
信仰を持つことは自分の倫理を一部担保してもらえるようで良いのかもしれない。何かに自分の行動を決めてもらうことは楽だ。
決してそれは悪いことではない。しかし、過度に信仰が行き過ぎると戦争になるが……(と、いくつかの宗教戦争を脳内で参照した。)
店内は満席だったが、十分時間を楽しんだのが、二人組が席を立って店の外へ行く。マスターが「またお越しください。」と声をかける。
客は目線もくれずに、そのまま階段を降りた。無視をしたわけではないだろうけど、きっと話をするのに夢中だったんだ、と好意的に解釈しようとした。東京では、人の温度を感じない方が楽だから。
わたしがマスターの方をぼんやり見ていたら、彼女がわたしの視線に気づいて笑った。先程の、交わされることがなかった視線について思う。受け取ってもらえないことはかなしいぜ。
店の隅に置いてあった能登半島義援…と書かれたボックスに心ばかりの寄付金をいれてお菓子を買った。
「わたし、夜に眠れなくなるのが不安でコーヒー飲まなくてさ……」と横の女性が話している。ゼクシィを買って彼氏に結婚を迫ったらしい。行動力、パない。女性たちの会話が面白くて、読書に集中できなかった。
混んできたので、ま、こんな日もあるでしょ、と思って店を出ようとする。「ごちそうさまでした。」と、マスターにお辞儀をしたら、彼女は良い笑顔を浮かべて「またお越しください。」と言った。
自分に余裕があるうちは、なるべく人のことも感じたい。
東京は厳しくて冷たい街だが、愛はここにあるぜ。