全く異なる環境で育った2人。自然が不自然で通常が異常。謙虚な聖母であればと豊かなほほえみを届ける。
どんなに繊細に描写するカメラのレンズも、カメラ自身を捉えることはできない。
どんなに美しく磨き上げられた鏡も、自分自身を映し出すことはできない。
誰かの瞳に映し出されて初めて己を知る。
その瞳にはフィルターがセットされている。時に鮮やかに。時にモノクロに。
フィルター越しに見た自分はどうだい?
フィルター越しの自分を覗く時、またしても自分のフィルターを通しているのだ。
そこにあるのはイロドリを変えるフィルターと映し出されたモノ。ただそれだけ。
醜いだとか、美しいだとか。
わらえる。