空きコマを利用して兼六園に花見に行ってきた。
桜が満開の今、兼六園は無料開放中なので、わたしはとんでもない量の観光客に極力ぶつからないようふらふらしながら見物した。
兼六園前の店が並ぶ通りは園内よりも酷く、立ち止まることも出来ないほどだった。コミケと同じくらいか、それ以上の人口密度である。わたしは厚底靴を履いても日本人女子平均身長には及ばないほどに小柄なので、外国人も多いその群衆の中で、はやくも来たことを後悔し始めていた。
わたしはいつも兼六園に行くと必ず寄る店がある。
蓬莱堂という店は、一階にいくつかの食事処が入っていて、わたしはそこでいつも焼き醤油団子を食べる。『飛行機雲、展示準備と解呪について』で食べていた団子もここの団子である。その場で団子を焼いてくれて、出来たてが食べられる。ここの醤油の匂いがわたしはとても好きだ。
今回はせっかくの花見ということで、わたしは蓬莱堂の二階に上がった。
三色団子、わらび餅、桜ラテである。これがわたしの昼食になった。わたしは陽の当たるソファに一人陣取って、桜を眺めながら団子を食べた。読みかけの文庫本を開いて桜ラテを啜る。ここ最近で一番のんびりとした時間だった。
わたしは昔、友人たちと花見をしたときのことを思い出していた。
わたしはとても控えめな性格で、自分から人に何かを提案するなんてことなど殆ど無かったのだが、毎年、花見だけはわたしからみんなを誘って行っていた。田舎だったので桜の木がある空き地なんてそこら辺にある。
小学校高学年の春、わたしは近所の一面田圃が見える場所に大きい桜の木が沢山ある空き地を見つけた。その道路脇にはお地蔵様の小さな祠がある。その祠にはいつ行っても瑞々しい花が供えられている。
わたしはその空き地に友人を招待した。
みんなでお小遣いを出しあい、お菓子を持ち寄り、レジャーシートを広げた。たまに乱入してくる虫に奇声を上げたり、3DSで写真を撮ったり、桜の花びらを集めてフードの中に入れて遊んだ。暖かな思い出だった。
わたしは懐かしくなって当時の3DSを引っ張り出した。埃をかぶっていたそれはとっくに充電を切らして、うんともすんとも言わない。充電器もやっとのことで探し出し、繋げてしばらく待ってみたが、やはり画面は暗いまま、私の顔をモノクロに写しだしているだけだった。
花見をした空き地に行ってみた。そこは変わらず桜が咲いている。お地蔵様の祠には今でも花が供えられていた。空き地の草は伸び放題になっていて、もうそこにレジャーシートは広げられそうにない。
わたしは文庫本を閉じた。丁度主人公が失踪した恋人の死亡を知った場面だった。窓から射してくる春の陽光に肌を焼かれながら、階下から聞こえてくる喧騒に耳を傾ける。親友に連絡したいと思ってLINEを開いたが、彼女のLINEアカウントは消えたままだった。
わたしは空の皿を乗せた盆を持ってソファから立つ。日の当たっていない室内は存外涼しかった。
階段を降りてわたしはまた群衆にもみくちゃにされる。知り合いにも、顔見知りにも、誰にも会わなかった。