わたしが通った小学校には「音楽隊」という組織があって、主に楽器が出来る五年生が選ばれる、吹奏楽部の下位互換のようなものがあった。
「音楽隊」の活動としては、行事で全校生徒の前で校歌を弾いたり、卒業式で旅立ちの日にとか君が代とかの伴奏をするというものだった。大体六、七人だったと思う。
小学五年生のわたしは、その頃ピアノを習っていて音楽にはほんの少しだけ自信があったのと、先輩たちが皆の前で演奏するのを見ていると本当にかっこよくて、少し憧れていたのもあって、その「音楽隊」のオーディションに手を挙げた。
わたしは電子ピアノの試験を受けることになった。枠は一人だけ。私の他に立候補したのは仲の良い友人二人だった。確かピアニカで校歌を弾いて、出来の良い1人が選ばれるという内容だった。
わたしは友人たちよりも不器用で、覚えも悪いから、一週間、合間合間に練習をした。
その甲斐あって私は無事に合格した。一緒に受けた友人たちも笑顔で祝福してくれて、このときは心の底から嬉しかった。今は本当に後悔している。そもそもわたしが名乗り出なければ、先生を困らせることもせず、わたしよりもずっと器用な友人が選ばれていたはずなのだ。
「音楽隊」の練習は週に一度、昼休みに行われる。音楽室に集まって、六年生の「音楽隊」の中で同じパートの生徒に教えてもらうことになっていた。
ここで問題が起こる。
わたしは当時から人と話すことが苦手で、しかも小学生にとって上の学年の生徒とは、それだけで萎縮するような存在だった。それでもわたしはなんとか勇気を出して六年生の教室の戸を叩き、「音楽隊」の生徒に、昼休みに音楽室に来て教えてほしいと伝えることができた。
来なかった。
昼休み、どれだけ待ってもその生徒は来なかった。六年生の教室に探しに行ったりもしたが、教室にもいなかった。
次の週もなんとか六年生の教室に行って頼んだ。もう、どれだけ面倒でも来てくれるだろうと思っていた。
来ない。
次の週も、次の週も、他のパートの六年生は来てくれているのに、わたしのパートの人は来なかった。
わたしは不器用だった。誰にも相談できず、簡単な楽譜だったのに入るタイミングが全く分からなくて、固まってしまう。「音楽隊」のメンバーからの視線が冷えていく。わたしはずっと変な汗が止まらなかった。別のパートで合格していたわたしの親友は、心配そうな目で私を見ていた。
この親友とは家が近所で、毎日放課後になると一緒に遊ぶほど仲が良かった。わたしと違って頭が良くて、器用で、達観していて、可愛かった。毎日一緒に登下校して、休み時間も一緒で、一日の殆どをあの子と過ごしていた。わたしには後にも先にも、あの子ほど仲良しの友人はできないだろうという確信がある。一番大好きだった。今も変わらず。
中間発表があった。音楽の時間に、クラスメイト全員の前で合わせるという。
わたしは案の定一音も弾けなかった。
先生にとてつもなく怒られた。わたしは何も言わなかった。わたしは自分に発言権など無いことを知っている。
先生はわたしの目の前にある鍵盤で最初の音をガンガンと叩く。なぜ出来ない?時間はいくらでもあったでしょう、なぜ先輩に教わらなかった?色々言われた。ヒステリックに怒る先生を見て、わたしは心底自分が嫌いになった。わたしは何をやっても上手くいかない。行動するだけ無駄なのだ。
この話の中で一番悪いのは、そういう星の元に生まれたわたしだ。調子に乗ったわたしが悪い。わたしの中に諦観が生まれた瞬間だった。わたしは一度もステージに立つことなくその場で「音楽隊」から除名された。
その日は晴れていた。帰り道、一緒に試験を受けた友人二人と親友と一緒に田圃を眺めながら歩いていた。
わたしはまだショックから立ち直れていなかった。足はまだ震えているし、目はずっと痛かった。わたしは頭が悪いから、こんな時、ヘラヘラするしか能がない。
ヘラヘラしながらわたしはショックだよ〜とか残念だな〜とか言っていた気がする。あまり覚えていない。
前を歩いていた親友が振り返った。あの子は眉を顰めて、「何言ってるか分かってる?それ、選ばれなかった二人の前で言ってるの、信じられない」うろ覚えだが、確かこんなことを言っていた気がする。
青天の霹靂だった。友人二人も明るい顔をしていなかった。言われるまで気づかなかった。初めて向けられる、友人たちからの明確な失望。わたしはひとでなしだった。
魂のレベルが一つ上がったような気持ちになる。夕日に照らされた親友の顔はとても美しかった。
心底死にたくなった。なんでもいいから、ここで今すぐ死にたい。今死ねば、私の人生ハッピーエンドで終われる。美しい景色と失望の中で、この醜悪な人間を醜悪なまま終わらせられたらどれだけ幸せだったか。人生で一番美しかったあの一瞬、わたしに残った一欠片の良心が、その行動を許さなかった。
あそこで親友がわたしに怒ってくれなかったら、わたしは今、人の形を保てていないんだろう。
今でも結構な頻度で夕日の中の通学路の夢を見る。未だに人前に立つとあの日の音楽室に引き戻される。
わたしはずっと痺れた足を引き摺りながら、年々愚鈍になっていく頭を抱えて、吐瀉物の海を這っている。あの夕日を夢見ながら。