2024.03.08(fri)
朝起きると昨晩より悪くない気分だった。元々雪予報だったため、寒くはあるのだが案外しんどさは感じていない。
家を出るころには雪も雨も止んでいたし、何も考えずに出社する。
今日は本当に心が凪いでいる。捗らないでも捗るでもない、そよそよとした心で業務に取り組む。今日はたまたま社内に人が少ない日だったので、それもまた自身の凪いだ心を保ってくれた気がする。
夕方ぐらいに先輩と引越しの話をする。彼もちょうど今、女性パートナーとの同棲のために引越しを行っている最中だった。「組み立てが大変でさ。」と語る。そんなにですか?と聞くと、キッチンボードがどうにも大変らしい。「ベッドは床との接地面があるじゃん?キッチンボードは縦に積み上がっていくから結構大変なんだよ。」なるほど〜、「下手に手伝わないほうがいいよ多分。」先輩は相手女性の協力を断り1人で黙々と組み立てているらしい。まして自身は身長も低く、腕も短く、非力である。女性ということを抜きにしたって戦力外通告待った無しである。
わたしの大学は女性比率が少ない学部で5割、多い学部だと9割にもなるほど高かった。そうなると男性に頼るという発想はなくなり、みんな助け助けられの関係となる。男性が重いものを持つのではなく、重いものを持てる人材が重いものを持つ環境だった。
そんな中でもわたしはこと力仕事において無力であった。同期や後輩が重たいコンテナを運ぶ横でちまちまとした作業をやっているのがお決まりであった。何なら一人で運んだほうがいいと判断されて現場から追い出されることもあった。0どころかマイナスであった。
なので、この話を聞いたときもそうするだろうと思ったし、恋人もそう考えているだろうなと思った。わたしは女性だからこうだろうという決めつけが嫌なので、自身の能力を低く見積もられると怒るが、体力や腕力に関しては全くもってその通りなので何の反論もなく、できる人に任せる主義である。
実際その晩、わたしより先んじて粗大ゴミを出した恋人から「君も搬出するときは怪我とかしないようにね。」とLINEが来ていた。みくびられたものである。
もうすぐ退勤というタイミングで知人から連絡が入る。以前からお願いすると言われていた件の連絡だった。作業自体は問題なかったが、来週から引越しでスムーズに対応できない可能性がある旨を伝えた。
そう言うと「日記にも書いていましたよね。」と返ってきた。読まれているとは思っていなかったので、とても驚いた。
こんな日記は同じように書いている友人しか読んでいないと思っていたが、先日も見知らぬ方からメッセージが届いたり、リアクションが来ていたので、案外読まれているものだなと思った。
おれのいいところとして、そうなってもあまり萎縮しないところがある。先日も職場の上長から「一回詰まっちゃうと喋れなくなったり、動けなくなる人が多い中で、〇〇は堂々と進行できるのがいいね。」と言われた。
これは完全に経験が為す技である。元々は引っ込み思案でなかなか行動できないタイプなのだが、それ以上に目立ちたがり屋であった。故に人前に出る機会が多かったのだ。
高校時代の話だが、いわゆる3年生を送る会的なものの恒例行事として、全校生徒の前で誰でも1分間好きなテーマでスピーチができるというものがあった。基本的に参加者は当然3年生がほとんどだったし、1,2年が参加する際は3年に向けたメッセージだったりした。
そんな中で自分だけが何も関係ないテーマで喋りたいことを1200人の前で毎年1分喋っていた。3年連続で参加していた。こういうところなのだ。
しかも大体後日、あんまり喋ったことない同級生とかから「〇〇さんがしてたスピーチよかったね。」と感想をいただくことも多かった。故に自分の喋りに対する自信がある、というよりびびる理由がなくなっていた。
加えて20代前半では修羅場という修羅場が発生していたので、それに比べりゃ死ぬもんじゃないしという意識がある。嫌なことは極力体験しないに限るが、たまにはいいこともある。
そういう鈍感な部分があるからちょっと恥ずかしかったりくすぐったかったりするが、こうやって黙々と文章が書ける。自分の話をするのやめられないし。
退勤して、明日のご飯用の食材を見繕っていると、並んだ刺身たちが目に入った。あまり萌えがあるラインナップではなかったが、それでも見てしまうと口が魚の気分になってしまうのだ。
うんうん唸っていると目の前で鰤の刺身に半額シールがつく。そうなると取らざるを得ない。「100円引き」と書かれた黄色と赤のシール付きのパックをほくほくと持ち帰った。
家に帰ったら我慢できず、早速軽く塩を振り、キッチンペーパーで包んで冷蔵庫に入れた。他のことをある程度やったら取り出してさっと塩を流し、水気を拭き取る。薄く切っつけてまな板に載せたまんま、醤油皿だけいそいそ用意してキッチンに立って食べる。
食欲に火がついて、余ってたうまかっちゃんをインターネットではお馴染み石黒流汁なし麺のレシピに則って調理をしていく。これは大学時代から愛しているレシピ(レシピと言えるのか?)になる。
この自由さは一人暮らしが持つ美しさのひとつであった。伸びやかで自由。自分の欲望にさっとフィットできる。介入する思考は自分以外にいない。美しい生活だと思う。二人暮らしを始めたらできなくなるのだろうか。
実家は厳しくはないが過保護かつ過干渉気味で、好きに外出するとか好きに行動するという発想があまりなかった。
大学進学とともに上京したとき、初めて深夜に一人で外に出て近所のローソンまで歩いて行った。あの夏の爛々と光る蛍光灯たちと、それにリンクした自身の高揚感は今でも忘れられない。
30歳手前になっても未だにその自由さに感動している。自分にとって大事なものだ。
でも、他者の介入もまた自分の予想のつかない方向へと導いてくれる。これからはそれを楽しみたいなと思う。