現代社会において、異性とのコミュニケーションは避けて通れないテーマの一つだ。仕事、学校、日常生活の中で、異性と健全な関係を築くことは、社会人としての基本的なスキルの一つと言える。しかし、このコミュニケーションが適切な範囲を超えると、不快感を与えたり、場合によっては社会的な評価を下げる原因にもなり得る。
異性に対してなれなれしく接する行為は、一見すると親密さやフレンドリーさの表れと捉えられがちだ。しかし、自分のように学校生活で非モテ街道を爆走してきたことがある人間からみると、このような行動が「言葉のちんぽでよしよししている状態」に見えていることがある。
また、他人の性行為に対する執着度があがってきている昨今、一見普通のコミュニケーションみえても、もしかして性的な目で見てるのではないかという疑義が生じる可能性もあるだろう。
代表的な例が、異性に対して頭をポンポンするアレだ。学生の頃は、異性に頭ポンポンされると嬉しいものだという記事を良く見た気がする(そんな啓蒙した雑誌も悪いが)、ただでさえ異性に嫌われているであろう自分がイケメンのビートに乗り、異性の頭をポンポンとしても、そこに鳴り響くのは耳障りな不協和音だけで、考えただけでも虚しくなる。成人して飲み会に行くようになると、頭ポンポンを良く見かけた。異性に嫌われているだろうという前提は自分だけが持っていたのかもしれないと気づいた。飲み会で鳴り響く不協和音はアルコールで蓋をされる。
不協和音を自分が奏でそうになってしまったとき、言葉のちんぽでよしよしすんな!すなわち、異性との距離を必要以上に詰め、こじらせた自己愛を肥大させながら、他者をおかずに自分だけ気持ちよくなっている状態になるなと、非モテ街道爆走中だった頃の自分をインコよろしく肩の上に起き叫び続けることが大事なのだ。ホンモノのちんぽが反応してしまうその前に。