自分が自分自身にインタビューをするとき、生き方について問われたとき、答えられるだろうかと考えて、考え込んでしまいました。
『ビルマの竪琴』に出てくる好きな一節に下記のものがあります。
つまり、人間の生きていき方が違うのだ、ということになりました。一方は、人間がどこまでも自力をたのんで、すべてを支配していこうとするのです。一方は、人間が我をすてて、人間以上のひろいふかい天地の中にとけこもうとするのです。
これについては、もう何年も自分の中でこねくり回して残っていたのですが、最近になって(おそらく)元となった思想があることを知りました。
ジョセフ・ソロヴェイチックというラビが1967年に書いた『孤独な信仰の人』から着想を得た『あなたの人生の意味』から引用します。
アダムⅠは何かを創り、築き上げること、生み出すこと、新たな何かを発見することを望む。そして高い地位と勝利を求める。
アダムⅡは心の内に何らかの道徳的資質を持とうとする。内なる自分を晴れやかで曇りのないものにしたい、穏やかだが強固な善悪の観念を持ちたいと望む。
人生には美徳が2種類あり、それぞれアダムⅠとアダムⅡと呼べるものがあるとのことです。履歴書に書くようなものと、追悼文にに書くようなものというたとえがしっくり来ました。
わたしが考えたかったことは、こころの内面のことだと気づきました。
美徳については上記ふたつのことを混ぜてしまいがちだけれども、わけて考えるほうがずっと整理されるとおもいます。
わたし自身の、道徳的な目標をもって、弱さにきちんと向き合いたいです。
(外見的な美しさはわかりやすく努力もしやすいけれど、ことに内面的な美しさはわかりづらく何を努力したら良いのかも迷ってしまいがちなのかもしれない)