書くことに執着しすぎているから今日は書くのをやめようと思っていたのに書きたいことができてしまって敗北。
明日だと思っていた予定が今日だった。明日予定に間に合うように、予定の場所には近いけれど家からだと遠いところの映画館でチケットを取ったのに、無駄足になってしまうことが発覚して悲しい。昨日は残業していたらケーキを買い忘れた。3000字の、誰に読んでもらいたいのかわからない文章を書いてしまったから、趣味垢のみんなに見せた。すこしだけフォロワーが反応をくれて安心した。わたしの言葉が好きなのは、ほんとうにわたしひとりというわけじゃない。
新しい概念に出会って自分の中に取り込むだけの強さが今全然ない。クワロマンティックという言葉を知った。ともだちと手を繋いだりハグしたりするとどきどきする。でもそのどきどきって自分がこのひとに触れるのを許されていることがうれしくて、今ここに生きているのを、生きてていいよって言ってもらえてるみたいでうれしいんだと思ってたんだけど。まで書いてそれを性行為に求める人もいるよな。って気づいてじゃあ人によってはこの感情って恋に区分されるんか。わからん。になってしまった。特定一人の友人というわけではないけど、別に一人に特定されることが恋の条件ではない、ということは自分の中で飲み込めているので、これが恋だとしたらポリアモリーか、そうか〜と思う。これを恋、だと定義したいわけでは全然なくて違うと思ってるんだけどじゃあ自分の中の恋の定義って何?って考えると全然わからない。二次創作ならあんなにキャラクターにとっての人生の中での恋という概念の置き場所について考えるのは楽しいのに。
独占欲とか嫉妬とか意味がわからん。聞くところによると友人にも独占欲を抱く人がいるらしい。わたしは誰かに想われるのってすごく怖いから自分以外にも大切な人の安らぐ場所があってほしいと思っている。自立とは依存場所を増やすこと、という言葉を信じているので。独占欲の有無も性愛の有無も恋を定義してくれないことがおそろしい。自分の持っている感情を恋だと信じられる人はなにを基準にそう思い、なにを指針にしているのだろう。
だから自分は恋愛感情そのものがわからないのか、恋愛感情と友情の間に区別をつけることができないのか、すらわからなくて頭が混乱する。オタク、あんなに「恋愛と友愛をわけたくない」などのツイートをしているけどあの層ってみんなクワロマなんやろか。あれはキャラクター間のものだと思っているのであって、現実の自身の人生には影響してこない価値観なのだろうか。わからない。
新しい概念を知って、それで「あ〜もうこれ以上考えることを増やさないでくれ今で手一杯なのに」ってなっちゃったから元気ない。いま元気がないことを自分の反応で知ってしまってより一層元気がない。一年前くらいからたのしい〜ってなると眠くなっちゃうことが増えて、一緒にいるひとに申し訳が立たないなと思っていたんだけど、なんというか対人での盾の構え方がおかしいのかもってさっき思った。実家にいるときはずっと母相手にガチガチに防御を固めていて、何を言われても傷つかないように自分を守っていた。一人で暮らし始めて、そんなに怯えなくてよくなって、適度な盾の構え方を見失っているのかも。全部下ろしてしまう。全部下ろしてしまうから眠くなったり反応が来るか気になったりして様子がおかしくなる。のかも。だからここにいるときって無防備すぎて、「むずかしいこといわないでほしい」のターンに入っちゃってる。かも。知らないことを知るのは時に自分を強くしてくれるけど、自分に新しいものを受け入れるだけの土壌が整ってないとそれが自分を傷付けるように思ってしまう。別に傷つけられてはない。ていうのが理解できる程度の心の防御の取り方を会得したいのになぁ。