無題

日々
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やらなくちゃいけないことのすべてに対してやる気がでなくて、ずびずび……とやっている感じです。たぶん二か月半くらいそうかもしれない。

資格の取得に至っては、五か月くらい試験日程を先延ばしにし続けてしまっている。原稿もしていない。白いエディタを眺めてため息をつく。

カウンセラーとあまり波長の合っていない感じがする。大学の学生相談室にいたころのカウンセラーの先生と、今の先生をどうしても比べてしまうのだけれど、今のカウンセラーは黙っていてくれない感じがする。わたしは考えながら話すので、よく言葉に詰まるのだけれど、そういうとき前のカウンセラーはずっと黙っていてくれていた。今のカウンセラーは、わたしがまだ考えている途中なのに「○○ということですか?」などと聞いてくることがあって、そうすると考えていたことが上書きされて、見失ってしまう。そのほかにも、悩んでいることに対して、「大丈夫ですよ」「みんなそういうものだと思います」って言ってもらうのは安心するんだけど、それってどうも「ここにきている間だけの安心」という感じがしてしまって、自分の部屋に持って帰ってこれない。

それを、なにかすり合わせによって変えていくべきなのか……とか考えるのだけれど、そうすると「黙らせている」という気持ちになってしまって、焦って喋ってしまうような気もする。別のところに行くというのも選択肢ではあるものの、今のカウンセリングのいいところはお値段が高くないところで、おそらく場所によっては二倍の値段がかかってもおかしくないだろうというくらいなので、気軽に回数が増やせる。大学のカウンセリングルームって外に開かれていないのかなと思ったら、開いてはいるけれども平日のお昼間のみで、平日勤務の社会人には厳しかった。うう。前の先生に会いたい。

自分自身が心理学部卒なのもあって、半端に知識があるのもよくなくて、教科書で学んだこととも比べてしまう。知識を実践していくことがどれほど難しいものか、わたしは想像することしかできない。

前のカウンセラーは、わたしが心理専攻なのを加味して、時折専門的な用語で話してくれて、そういうとき、わたしは「この用語を使ってもこの人はわかるだろう」と思ってもらえていることがわかってうれしかった。あるタイミングで(確か通い始めてから二年くらいのころ)両親のことを話したとき、カウンセラーがわたしの話した内容に対して怒ってみせたあと、「これでは私が転移してしまっていますね」と笑ってくれたときのことをひどく鮮烈に覚えている。

それから、もうひとつ印象的だったのが、わたしが普通に自分の考えていたことを話した際、とくに意図して言葉を選別したりしなかったのに、感心したふうに「言葉の人ですね」と言ってくださったこと。わたしのことばは、とくべつ力をこめて紡いだものでなくても、目の前の人に届いたんだと思えた。わたしの中で、特上の誉め言葉としてずっと大切に抱えている。

「いつか全部大丈夫になりたいから、今もきっと大丈夫だと信じるようにしている」という話をしたこともあって、それは自分の中から出てきた感覚だけど、「面白いですね」って言ってもらったからずっと覚えておいておけている気がする。今日もきっと大丈夫。

@suzu_sn
息継ぎをする