祈るように生きる。
新しく作った方のアカウントでも褒めてもらうことがずいぶん増えてきた。
褒めてもらうと舞いあがって、その度に背後でもう一人の自分が醜いなぁと囁いてくる。みにくい、あさましい、みっともなくてみじめだ。二次創作でなくてはなんの価値もない言葉の羅列を好いてもらっても、お前のことが好きという意味ではないよ。そう思うのをやめられない。褒めてもらう文章を書くために生きてるんじゃないだろ。
新刊楽しみにしてますと複数人に言われて、突然やる気を失っている。失望されるのが怖い。それならどうせ、書けませんでしたと言ってしまいたい。初めから失望されるための行動をしていれば、頑張ったのに報われなくて苦しむようなことにはならない。頑張りたくない。期待されるならばこそ。
年末に声を掛けてもらった原稿を昨夜提出した。細かな記入漏れなどがあってその修正をいま出したところで、それが返ってきたらちゃんと脱稿だ。ひとつ手を離れるだけでほっとする。そちらのジャンルのアカウントは消してしまったし、わたしの文はあまり求められていないだろうけれど、だからこそすこし安心した。
いつかちゃんと、全部の言葉を抱きしめられる日が来るのだろうか。ここは、もうなんでもかんでも書こうと思っていて、苦しいこともちゃんと書きたい。書くことしかできないから。褒め言葉がカイロのように温かい日も、石のように重たい日もある。それでも携えて歩いていけるようになりたいのだ。
昨日話していたフォロワーは、まだ嘔吐の症状は出ているみたいだけど、今日もツイートしていた。わたしは、なにくそとは思わないけど、それでもって言っていたい。それでも。どんなに世界がクソみたいでも、しがみつくよ。わたしがいるのは今の、この世界だから。