小説を書く人間として出会った人々に、生活している自分自身を見せると全部許してもらいたくなってしまってだめなんだなって思った。高校や大学で、生身の人間として先に出会い、小説を書いていることを打ち明けた人には思わない。いや、思っていたのかな……全部ぶちまけたのが昔だから忘れてしまったのか。大人になってからは友達を作りづらいって言うけど、学生時代にわかりあえる関係性が出来上がっていると、また一から信頼関係を他者と作るのがまだるっこしくなるんじゃないかななどとも思う。
ただの小説を書いているアカウントとしての交流と生身の人間として話すことの間には大きな隔たりがあると思っていて、インターネット字書きとして出会った人の前に生身の人間として姿を現すことに苦痛を覚えたり、変に舞い上がったりするのはそういうところなんだと思う。
わたしが小説を読むとき、もちろん推しカプにも興味はあるんだけど、その文を書いた人自身にも興味が向いている。人が書いている以上、たとえ二次創作でもその人自身の経験や記憶から逃れることはできないと思うから。この人はどんな物語に触れてきたんだろうとか、どんな風に生きてきたんだろうとか、そういうことは、表立っては言わないけど気になるし、もし話したいと思っているなら聞きたい。漫画の場合はあんまりそういうことはなくて、書かれているキャラに興味がある状態だなと思うことの方が多い。たまに、すごく言葉の好きな人がいると小説を書いている人と同じ感じで追いかけることもあるけど。書き起こしてみると気持ち悪いストーカーだ。書かれた文字を経由することなしに人に興味を持てないのかもしれない。
日を跨いで書いていたらよくわからなくなってしまった。友人から休職することになったからと予定にキャンセルの連絡が届き、悲しい。やっぱ会っててもメンタル不調には気付けないよね。どうしたら、気持ちの上でもあなたのそばにいられるのかな。