脳みそがぐわんぐわんする。6時に起きなきゃいけなかったのに、昨日は深夜の12:30くらいまでただただぼんやりしていた。1:00くらいには眠ったが、すぐに起きてしまうような睡眠を繰り返して、たしか2時頃と5時頃に目を覚ましたはずだ。こんなのが一週間続いているんだけど、知人が「整体をさぼっていたときよりも中途覚醒がひどい」とツイートしていて、確かに凝りがひどくても寝づらくなるかと思い、明日マッサージに行くと決めた。先週あたりからよく起きてしまうようになったんだけど、そういえば先週の日曜に映画を見たら眼精疲労がとてもひどくなってしまって、それ以来頭肩首とぜんぶヤバい感じなのだった。今日は勤務時間も長いし、家事もしなくちゃいけないし、うまく眠れないとしても一秒でも長く寝たい。もともと今月中に一度行こうと思っていたのだが、原稿の進みがあまりよくないので後回しにしていた。たぶん、眠れなくて疲れがたまって進捗が悪化していたんだろうから、今度からは優先順位をもっとあげたいな。
次に作る本は長年の友人に表紙を描いてもらうことになっている。高校時代の友人、オタクでかつ絵を描けるものの熱心に二次創作をするタイプではなかったんだけど、最近はあるジャンルに熱をあげていて、わたしもそのジャンルをチラ見していたらうっかり落っこちてしまった。ということで装丁とかを決めていたのだけれど、描いてほしいシーンなどを指定して目の前でラフ(という言葉で呼ぶのが本当にただしいのかわからない)を描いてもらった。うれしい。同じジャンルではあれど好きなカップリングは違うので、わたしの推しカプを描いてもらうたびに大喜びしている。うれしい!絵描きのひとはほんとうにすごい。真っ白の画面に推したちが現れて、突然空気が変わる感じでめちゃくちゃ引力があるし、すごい。尊敬。なので原稿を頑張ろう。
以前から触れていた、お子さんのいるオタクのひとへの感情がどんどん悪化してぐるぐる考え込んでしまっている。厳密には自分の人生についてと自身の母への感情なので、この言い方は正しくないのだけれど。フォローを外したほうが楽になれるなと思いながら、でも作品は見たくて、苦しい。自分の選択の結果タイムラインに現れていることはよくわかっているので、自分の中で始末をつけなくてはいけない。
母との関係が悪くて、その再生産になるくらいならわたしは子どもを産み育てることはないし、それなら結婚もできないだろうなぁという気持ちは中学生くらいからあった。だけどそれとは別に、わたしは恋愛・性愛が自分に向くことに嫌悪感を抱く人間であることが最近になってわかってしまって、自分の選択のつもりだったが生来できないものだったと突きつけられるのが、うまく表現できないがぐらぐらきている。新しいジャンルを好きになったことによって、タイムラインの中の比率が上がってしまったことも一因というか、数の多さによって自分の異質さや子供っぽさを自覚してしまうことがキツい。他の人にとっては選択肢のうちにあるものが、自分の手の中にないことが、それによって自分を変わらないまま立ち止まらせているということが、苦しい。
他の人は結婚・出産を通過点とし、その先を歩いて行くのに、わたしはここで変わらないまま十年も二十年も生きていくのか?何も残せないで?
かさまちくんが最終巻あたりで言っていた「若い人に何を残せるだろう」というようなこと、最近よく考える。元から、生活に余裕ができたらどっかに定額寄付とかしたいなって思ってたんだけど、とにもかくにも生活に余裕ができない以上今は身動きができない。はやくはやくって焦ってもあんまり意味がないとは思うのに、今の自分がなにもできていない気がしてはがゆい。わたしは「雨がしないこと」の雨ちゃんの歳にも、まきおちゃんの歳にも一日一日近付いていくけど、もし同じ歳になったとき、胸を張って彼女らの前に立てるだろうか。公式でおそらく性的マイノリティであるという描き方をされている推しの前に、胸を張って立てるようになりたいということは数年前から思ってきたけど、雨ちゃんやまきおちゃんは推したちよりもっとわたしの近くにいる感じがして、もっとできることがないといけない気がして、今何をしたらいいのか、わかんなくなる。
読んでもらえてるからこそ、自分の文章にもっと価値を、意味を、力を持たせなくてはいけない気がしてしまう。自分の手の届く範囲なんかそう広くないはずなのに、インターネットのむこうにいるひとの手を握ってあげたくて仕方がない。エゴだ。自分で自分の首を締めてる。