午後から歯が痛い。ここ数日なんだかぐらぐらしているような気がすると思っていて、今日試しに歯をかちかち合わせたり指で揺らしたりしていたらものすごく痛くなった。硬いものが噛めなくて、大きく口を開けると痛みがある。明日になっても治らなかったら歯医者に行こうと思う。今月頭に行った時は特に何も言われなかったのに。
今日は『雨がしないこと』を読んでいた。うまく言えないが、たぶん結婚しない、と言える雨ちゃんをとても羨ましく思う。雨ちゃんの言う、「私は私の面倒を見ていかなきゃいけないので働けるだけは働きたいです」というのが、すごくよくわかる。頼りたい実家もないし、この先ひとりで生きていくんだろうと思っているから、どうしても将来を不安に思う。でも、わたしは一生ひとりだったら、寂しくなって、ひょっとすると気が狂うかもと思うから、誰かと暮らしていたい。本当に暮らせるのかはわからないけれど。
雨ちゃんは、「いい人いるって」と返されて、どんな気持ちになったんだろう。自分が恋をしないことを、どうやって飲み込んだのだろう。自分は恋をしないと、それを人に言えるようになるまで、どんなことを考えていたんだろう。
わたしにとっては、自分が「そうかもしれない」と気付く体験は暴力的だったように思う。恋をしない人、性欲を持たない人のためのラベルがあることを、ぼんやりとした知識では知っていたものの、自分だとは思いもしなかった。いつか、誰のことも好きにならなかったら、その時手にすればいいものだと思っていた。だけどそうではなくって、たとえばロマンティックな人にとっては恋は幼少期に落ちたりするものだとか、周囲の人が誰かに恋愛感情を向けているのは察せるものだとか、そういうことがあまりにも自分とは違っていて、「わたしは初めから、恋愛感情を感じる回路が欠落していた」。それに気がついて、わたしは動揺して、動揺したことに傷ついた。わたしは「偏見とかない人間」のつもりだったけれど、自分がいざマイノリティかもしれないと思ったら取り乱すなんて愚かで馬鹿げている。結局自分はマジョリティでいられると無邪気に信じていた。自分のことだとは思っていなかったなんて、ひどい話だ。
「まだいい人に出会えていないだけだよ」って言葉にわたしはまだ縋りたがっている。学生時代、あまり人付き合いが得意ではなかったおかげで、雨ちゃんのようにクラスメイトから非難されたり、異性と一緒にいることを恋愛関係だと誤認されたりはしなかった。一度だけ恋人ができたことはあるが、世間的な恋人像に合わせることに必死で、自分が必死になっていることすら気が付かなくて、疲弊して振ってしまった。あの子は、その後も友達付き合いを続けてくれたが、本当はわたしにどう思っていたんだろう。ずっと彼女を不幸にしてしまったんじゃないかと思っていた。何年か前、彼女がいると聞いて、その当時で一年ほどは続いていると知ったら、ふっと肩の荷が降りた。誰かの人生が自分のせいですっかり変わってしまうなんてことはきっとないんだろうと思う。わたしはあの子を、一生ものの不幸にしたわけではないんだと思えてほっとした。
付き合っていたときは高校生だったが、基本的には一緒に帰っていて、一度だけ共通の友達が一緒に帰っていいか、と聞いてきたことがあった。「いいよ、別に普段と変わらないし」と答えたら彼女に強めに叩かれたのを、自分がアロマンティックなのかもしれないと気付いてから思い出して、反省した。わたしにとってはあの子は、結局ずっと友達でしかなかったのだろし、恋をしていたのなら、それは彼女にとってはひどいことだっただろうな。
そんなことをつらつら考えているから、雨ちゃんのことを親しく思うと同時に、この話自体はわたしの中に重く沈んでいる。「良かった」と言ってしまうにはわたし自身が、考えを拗らせすぎてしまっている。いつか雨ちゃんのことを、純粋に「いいな」と思える日が来るのだろうか。その日が来たら、雨ちゃんと友達になりたい。