2025.8.9(土)

日々
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公開:2025/8/9

今日も布団から動けなかった。

月曜日、仕事で実家の近くまで行ったから帰って晩御飯を一緒に食べた。母が日焼けで真っ黒になっていて、どうしたの、と聞いたら、選挙活動でビラ配りをしていたからだと言っていて、また、「あ、思ったより進んでるな」という感覚になった。一度状況確認がてら顔を合わせておいた方がいいなと思っていたのは間違ってなかったと思う。

母は、まだ「小麦が身体に悪い」という話をしていて、前々から、次言われたら「一人で長生きしてね〜」と返そうと思っていたので、それを言ってみた。母からの反論はなかった。ただ、父から「お母さんに勝てるのはお前だけ」というようなことを言われたのがじわじわと嫌になっている。わたしがそのセリフを準備して臨んだことも想像していないのだろうな、わたしが、あの人に傷つけられないために費やしてきた気力のことも、わたしが話さないから知らないままだ。そんな強さはいらないのにね。子を矢面に立たせないでくれ。

母はご飯を食べながら「自分は欠陥品だと思う」という話をしていて、まあそう思うのは自由だから好きにすればいいけど、われわれ家族にその苦しさを一緒に背負わせようとしないでくれ。何と返したらいいのかわからなくて、でも「人間なんかみんなどっか欠けてるだろ」とも思ったけど、なんか、母にとっての「救い」みたいなのになりたくなくて黙っていた。そんな風になるかなんて全然わからないけど。父も兄も何も返答しなかった。

でも、大多数の人に当然ある(と思える)ものが自分になくて、欠けてるだめな人間なんだ、と感じてどうしようもなかった日はわたしにもあるから、そこに直面しているときが苦しいのは、想像できる。ないことがイコール悪いことではないし、そういう人は自分だけじゃないと知るために、わたしにとってはアロマンティックという名称があったことはすごくありがたいことだったけど、そういう、気付きのきっかけになるようなものはあの人にあるのだろうか。

ひとを表すときに、「欠陥」といいうことばを使うのがとても嫌だと感じていて、「欠けている」からといって、それは致命的な、わるいところ、ではない(とでも思わないとやってられない)。ないものはない、とした上で、それはただの違いであって、別に?なくても楽しく暮らしてますけどね?って話がしたいし、できる世であってほしい。よ。とりあえず次会った時に機会があったら言うことリストに追加。人間なんか完璧な製造品じゃないんだから、欠けなんていくらでも見つかる。

火曜からは上司が夏休みで、先輩もコロナから復帰せずの一週間だった。まぁ、わたしはあんまり案件を振られていなかったので、定時〜一時間くらいのところでしれっと帰ってたけど、もう一人の先輩は23時近くまで残っている日があったぽくて申し訳なかった。労働をしているときに感じる、あの重たい苦しさ、ままならなさ、恥ずかしさってなんなんだろう。いつになったら労働という行為に慣れて、もっと息がしやすくなるんだろうね。上司の代わりにいろいろと対応してくれていた、普段はあまり関わらない中部地方担当の方と連絡を取るのも、ほとんど話したことがないせいで緊張して苦しかった。

ご飯を食べるのもとても億劫で、こんなことをしても自分の傷つきは慰められないのだが?としか思えなくてずっとぐずぐずしていた。かといってYoutubeを徘徊して満たされるわけでもないのに。できないことばっかり数えてしまう。締切も近いのにね〜。

@suzu_sn
息継ぎをする