スマホカバーを変えた。透明のソフトカバーはあまり使わないんだけど、どうも大昔にAndroidだったときに使っていたものを指先が覚えていて、側面のまんなかあたりに電源ボタンを探してしまう。ちょっとぺたつく触り心地が皮膚に残るかんじ。そんなこと記憶ではすっかり忘れていたのに身体だけ覚えていた。不思議だ。ソシャゲを始めてからは親から隠すのに手帳型を好むようになった。今は隠す相手も携帯でやるゲームもないから、しばらく前からハードの透明ケースにシールを挟んでいたんだけど、落としてばきばきに割れてしまったので、今度はソフトにした。
人生が長いことをおそろしく思う。こういうとき。忘れていたはずのことを思い出すときとか。取りこぼしてきたものを、取りこぼしたことすらもう記憶からうしなわれてる、そういうこわさだ。
いろいろ考えすぎてメンタルが落ちてるって思ってたけどたぶん日記を書かなかったからなんじゃないかという気がしてきた。考えてることをここに排出しておかないとどっかでどうにもならなくなる。先月今月と自分ではこれまでにないくらいの量の小説をかいていたのだけれど、たぶん先月は資格勉強に宛てていた気力を、今月は日記を書く気力を削っていたんだなという感じがしてきた。がんばれちゃうんだけど、あとで無理していたことに気がつくんだよね。いつも。
来月から少しペースを落としたい。やりたいことはたくさんたくさんあるのだけれども、でもどっかで転けたくないし、転ける必要もない。ただの趣味なのだから。
小説を書くことを自分の死にたさに帰属し続ける限り、いつまでも小説を書いている自分を恥じるのだろうなと思う。吹っ切れたいと思うような、もういっそ無理なのだから開き直ってこのままうじうじしていようかという風にも考える。「開き直ってうじうじする」といくのもよくわからない言い回しだ。でも、うじうじしたい自分を否定していてもそれはほんとうじゃあないって感じだから。焦りも劣等感も全部糧にして、書かなきゃ生きていけないから書いて生きていく。来月も再来月も楽しみな予定がある。