みんな膜の向こうにいるって拗ねて不貞腐れている間に得るものがあるならそうすればいいと思うんだけど、ないならやめた方がいいな。と思ったけど束の間の安息くらいにはなるし、いいか……。
恋愛感情が取り外し可能な部品だったらどんなにと思ったが結局つけたい/つけたくないの意思が存在するだろうしやはりそこに選択の余地なんかないのだろう。
世の大半の人間は恋愛的/性愛的なパートナーを持つことに疑念を抱いたりしないんだ〜。不思議〜。怖かったり気持ち悪かったりしないんだ。へぇ〜。怖い、気持ち悪いと思うのはたぶん副次的なものなんだけど。わたしがえ!?なんで!?意味わからん!と思っているのと同様に、恋愛やセックスができる人間もわたしのことを意味わからんと思っているんだろうな。と思ったら少し腑に落ちてしまった。ので、なんで?って言われたらなんで?って言い返そうかなと思う。
大学のときに教授から聞いたのか本で読んだのか忘れたけど、心理療法はHowの問いじゃなくてWhyの問いの答えを探すものだとどこかで聞いたのをずっと覚えている。たとえば、夫を亡くした人の「なぜ夫は亡くなったのですか」という問いに対して「交通事故で」とか答えるのはHowで、それを言われて楽になれるわけではない。たぶんそれと同じで、「恋愛感情を生成する回路を持たずに生まれた」というのはHowの答えにすぎず、それによって楽になれないのは当たり前のことなのかもしれない。どこで聞いたのか忘れたようなことを書いていいのかわからないけれど。手元にある本だといいのだけれど、レジュメにしれっと買いてあったことを覚えているとかだと原典に当たるのが難しそうだなー。