無題

日々
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数日前に大学時代のサークルの知人から連絡があり、久々にサークルの人間と集まりたいという話だった。あまり行く気にならず、連絡が来て以来それをなんとなくバックグラウンドで考え続けていたのだけれど、わたしは人間はみな恋愛をするものであるとする集団にいることが苦しいのだと思う。

わたしにとって、自分が恋愛をしない/できないかもしれないということはひとつの欠落である。わたしは、わたしの持つこの欠落のこともどうにかして愛してあげたいと思っている。しかし恋愛がメイントピックになる集団にいるとき、それは愛すべき欠落ではなく、恥ずべき欠陥になってしまう。他人の自虐に巻き込まれて、わたしもわたしを毀損しなくてはいけなくなる。自ら望んでそういう集団の中に出掛けていくとき、わたしにとってそれは自傷行為になる。

一生一人じゃさみしいことくらいわかっている。わかっているが、さみしさを解消する手段が異性との婚姻というパートナーシップ以外一般的ではない社会のほうがイカれている。一般的な手段に適合できないわたしが悪いのではない。異性とのロマンティックな、あるいはセクシュアルな関係に身を投じることができる人向けの制度しか持たない社会が悪い。

大学の同級生とも卒業以後何度か集まっているが、正直めんどくさい。わたし抜きでも成立する関係に思えて仕方ないし、仕事と恋愛しかトピックがないなら、勝手に話していてくれればいいと思う。どうして全員集めることに固執するのだろう。同じサークルの先輩や友人でも、話が合う人はいて、その伝手でわたしがなんとなく元気で過ごしていることが伝わればいいと思うし、逆もまた同様に、なんとなく様子が又聞きでも聞けたら満足だ。薄情なんだろうが。所属していたサークルの活動内容にももうさほど熱心な関心はないし、共通する話題もない。ひとりで小説を書いていたほうがよっぽど楽しいだろうな。

年末年始を挟んだせいで、前回のカウンセリングから一か月経った。今週末にやっと次の予約があるのだが、いろいろとありすぎて何を話したらいいのかわからない。この一か月は、今までの人生よりずっと自分がアロマンティックで、アセクシュアルな人間であるということに頭を巡らせ続けている。いつになったら自分自身と決着がつくのだろう。

@suzu_sn
息継ぎをする