無題

日々
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原稿をしている。本当に必死。終わる気配があるような気がする瞬間と、一生終わらないっていう気持ちになる瞬間の間を反復横跳び。望んでやっていることを忘れるな。

Bluesky、しずかなインターネットのフィードがあることに気付いてここ数日見ていた。どこからこの日記に辿り着いてくださったんだろうと思っていたのだけれどこういうことだったのか。他の方の記事を読むのは、生活を覗き見ているみたいでたのしい。

自分の日記を読んでくれている人がいることを、けっこう不思議に思っていたのだけれど、これはたしかにいい。読んでないのに書いていたのかと思うが、本当に、誰も読まないと思ってずっと書いていた。最初。何故かリンクをどこにも貼っていなかったのに閲覧数がついていて、どこから……とずっと思っている。どこから来られていたんでしょう。

最近なんとなく考えていることがあって、わたしのAroとしての苦しさは、「Aroであることそのもの」からきているわけではないのかな、と。実家で母の機嫌を損ねないように過ごしていたせいで人の顔を窺ってしまう気質と、物語の恋愛なら楽しむことができるところと、自分自身は恋愛感情を持つことができない性質がかけ合わさった結果、「恋愛的な行為が求められている場合、物語から学習した恋愛的な行為をトレースすることができるが、そこに自身の気持ちが伴わないために後から辛くなる」人間が完成しているのだと思う。結局望まれている行動を推測しようとしてしまうところが己を苦しめているんだろうな。そのくせ別に気がきくわけではないし。

こないだ実写の映画を見ていて、キスシーンで思わず目を逸らしてしまった。それからそのシーンが過ぎるまでずっとスクリーンの端を眺めていて、本当に苦しくなった。ひとつ俳優さん見たさに気になっている映画があるのだけれど、それも恋愛映画のようで、わたしは見るのだろうか。見れるのだろうか。考えている。

@suzu_sn
息継ぎをする