昨晩通話していたフォロワーが死にたい、オーバードーズした、この後ツイートがなかったら死んでいますとツイートしていて、それ以降ツイートしていなくて、わたしは。どうしたらよかったの。昨日は別段辛そうなことは話していなくって、普通に見えたけど、見えてしまったけど。
昼過ぎにそれがあってからなんだか全部手につかない。いなくならないでほしい、けど、でもそんなの傲慢だ。死にたいほど辛く苦しいのに、この世に留まってほしいとか、辛くて苦しいままでいてと願うようなものだ。木下龍也さんの短歌に「立てるかい 君が背負っているものを君ごと背負うこともできるよ」というのがあって、最初に読んだ時からずっと読むたびにはっとする。
わたしは誰かの背負っているものをまるごと背負ってあげるようなことってできないと思うし、実際全部解決してあげることはわたしじゃなくてもできないんじゃないかと思う。現実問題。でもあらゆる創作が祈りだとしたら、そうしてあげたいと思って、言葉を紡ぐことは、あっていいことだと思うから。好きな短歌。
親に愛されてない、本当は死ぬのが怖いってツイートを見ていた。親に愛されないことくらいなんでもない、それくらいのことで人は死なないって思う。けど。そんなの、自分がここまで生きてこられたからだよなあって感じる。
産まれて一番最初に愛した人だから、ちゃんと愛して欲しかったし、愛し続けたかった。好きなままがよかったし、嫌いなところも許せたらよかった。でもできなかったから、離れて、やっと楽に息ができるようになって、わたしはわたしの人生を歩けるけれど、幸運だっただけだなぁ。などと思う。そんな呪縛の外に逃げようよ。まだ話し足りないのに。