※感想を書くつもりで、関係ない話まで書いてしまうので「読んだ日の日記」としています。関係ない話を始めたらすみません。
※ネタバレありです。未読の方はご注意ください。
Blueskyでたのしそうに読んでいる人たちがいたので、普段の自分なら手に取らないサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』を読んでみました。道中、やたらと犯罪に怯え、出てくる人間を犯人ではないかと疑い、自分の読み方がいかに偏っているかを知りました。「本格ミステリ読み」=「エンタメ小説読み」にはなかなかハードルが高かったです。以下、一作品ずつの雑感になります。
1.「バナナフィッシュ日和」
戦争から帰って来て精神を病んだ男が、野放しの状態で、幼い少女とビーチでふたりきりでいる。事情を知っている彼の妻(恋人?)も、彼女の母親もそこにはいない。……少女の身の危険しか感じないのですが?
海から上がったあとのシビルの無事を何度か確認してしまったし、エレベーターに死体を残して立ち去ってないか(ふたりの死体が折り重なっていてエレベーターのドアがそれにぶつかって開いたり閉まったりしてないか)確認してしまったし、最後の瞬間「ピストルの狙いを定め、」までミュリエルを撃ち殺すんだと思って読んでたよ。我ながらひどい読み方だな。
読んだ後どう受け止めればいいか理解が出来ず、普段はあまりしない考察漁りをしました。私が情報を得たのは、ほぼ冒頭の電話シーンからなんだけど、最初はこのシーンなかったのか……。
無実?が明らかになった後振り返れば、どのシーンも生活とは分け隔てられたアンニュイな空気が流れていて、シビルとシーモアのビーチのシーンに至ってはいっそ俗世から離れた桃源郷的空気すら感じるんだけど。……時間をあけていつか再読するといいのかな。
2.「コネチカットのアンクル・ウィギリー」
ちゃんと母親をしようとしているエロイーズが、学生時代のルームメイト、メアリ・ジェーンと、酒を片手に束の間の楽しい時を過ごす。
学生時代の話は楽しいし、メアリ・ジェーンはエロイーズの話――ウォルトの話――死んだ昔の男の話――今となっては喪われた、エロイーズ自身の話――を聞いてくれるけれど、娘はずるずるとオーバーシューズを引き摺ってやって来るし、亭主は雪の中迎えはまだかと電話を掛けてくるし、アホなメードは亭主を泊めてもいいかと聞いてくる。
半ば八つ当たり気味に、無害とも思えるメードのお願いを、上品に断る。メードは「かしこまりました」と言っただけだけど、人でなしな振る舞いを陰で罵るに決まってる。人でなしなことは、エロイーズ本人が一番わかっている。反論がないことに、一層自分が悪い人間になった気がして、エロイーズの苛立ちはつのる。
架空の彼氏ジミー・ジマリーノが、架空の交通事故で死んだその晩に、娘ラモーナは、別の架空の男ミッキー・ミカラーノとベッドに寝ている(他意なし)。「死んだ昔の男ウォルトを引き摺り続けている私の娘じゃない」と思うのか、「別の男と結婚して子供もいる、全く私の娘だ」と思うのか。
「あたし、いい子だったわよね」は、自分がいい子じゃないのを知っているから。それでも、いい子だったと誰かに言って欲しいから。
これは、エロイーズのささやかな地獄の話。メアリ・ジェーンにもグレースにも、もちろんラモーナにも、それぞれの地獄があるけれど、これはエロイーズの地獄の話。
ラモーナに掛けさせている眼鏡は、ウォルトの形見なんだよね?
……本当にこんな話だった? 自信がなくなって来たよ?
3.「エスキモーとの戦争前夜」
「タクシー代を払わないクラスメイトにずっと腹を立てていて、今日こそ言うぞと決意してちょっとはぐらかされたけど断固とした態度を取ったらやな空気になって、あたしわるくないんですけどと思いながら待ってたらクラスメイトの兄貴がやって来て、ちょっといいかなって思ったからタクシー代のことより今後の友達との良好な関係を大事にしようと思いました」
現実的に人間らしすぎて、「日記? 経験談?」と思いました。
女子学生二人のお互いをちょっとずつ侮っていたりする感じとか、等身大だなあと思うし、馬鹿っぽい奴が来たなと思ってたけど、何となく会話しているうちに、明確な出来事は何もないけど、いいかもって思うこともあると思う。エリックと比べてフィーリングが合ったからいいかなっていうのが、読者サービスの親切な描写なのかな。
4.「笑い男」
この物語から得られる教訓は、創造主の心が死ぬと、物語も道連れに殺されるということ? ……そんな端的なまとめであってる? 少年達が信奉するチーフもまたひとりの青年であり、信者も教祖も人間で、教典すら教祖の人間的なささやかな事情によって変貌してしまうという話? そもそも教訓なんて探すなって? 「俺が(たとえば書評とかで批判され)傷付けられたらお前達が欲しがっている物語は惨殺される(してやる)んだ」というサリンジャーからの脅迫? そんな話はしてない?
熱狂しやすい少年達の集団の中にうら若い女をひとり放り込むことへの、何かとても悪いことが起こるのではという予感が集中を妨げる。
少年達を苛立たせても、殺しは最小限の笑い男に、チーフの人の良さが垣間見える気がする。
5.「ディンギーで」
ライオネルは世界が綺麗ではないと感じると、そこではないどこかに旅立ってしまうのかな。きっと言葉はカイトだと思っていても、それの発せられる嫌な音はわかるもんね。ところで「カイク」って、これ舞台はいつのどこなんだろう。戦時中ドイツではないよね……? 戦後のアメリカ? (文化的背景に関する無知が露呈。あとで調べる)
ブーブーはライオネルにすごくきちんと向き合っていると思うんだけど、教育的には理に適ってても、プレゼントがなくなるのはやっぱりかなしい。ママが万能で、潜水用ゴーグルもキーチェーンも湖の底から取り戻してくれたらいいのに(そういう話ではない)。
地名かと思ってたけど、もしかしてデッキ(甲板)でってこと?
大きくなったライオネルがサルベージ船の船長になって、出会った少女とかに「私の上官の中将は……」「……私が四歳の頃の話だ」みたいな話をして欲しい(重ね重ね、そういう話ではない)。
6.「エズメに、愛と悲惨を込めて」
ひどい雨の中、訓練の最終日が終わった寡黙な兵士が、兵舎を抜け出して、教会で聖歌隊のこどもたちの歌を聴く。その中で一番特別な女の子と、喫茶店で束の間の会話を楽しむ。賢い彼女が会話をリードし、彼はそれに受け答えをしながら、ここぞと言う時にはきちんと意見し、彼女もそれを受け止める。
雨の中の街、教会、喫茶店という場面も、夜には街を去る兵士とちょっと背伸び気味の気高い少女という人物も、とてもすきだった。
前半のチャールズとの和解というささやかな光と、ラストの眠気が訪れる希望の描写に、こちらも救われる気持ちになった。
やっと読みやすいいい話だ、と思ったけど、猫は酷い目にあった。ひどい。梶井基次郎にもいい話だと思ったら猫を壁に投げつけて台無しな話があったよなあと思い出す。時代か……。
読みやすかったのは、語り手が一般的な男性一人称だったせいもあるかも。ミステリであればいつもの型なので。あと不安定な人の傍にか弱い何かがいないからかもしれない。前半の戦時中パートはそこまで不安定じゃないし、後半の戦後パートは隣にいるのは同僚の兵士だから。
結婚式の話から始まり、花嫁について花婿に警告するということだったけれど、これは一体どこに着陸したんだ……? 戦争による神経衰弱から僕を救ってくれたのは他でもない彼女なのだ、僕らは彼女の父親のクロノグラフで繋がれた絆で結ばれているのだ、……ってこと……?
7.「可憐なる口もと 緑なる君が瞳」
……叙述トリックですか? 何も考えずに読んだら、リーと一緒にいるのがジョーニーで、バレたら修羅場のサスペンスだと思ったんだけど、違った? それとも、その上でアーサーが幻覚で妻の帰宅を見ているってこと? それとも(携帯電話はない時代だろうから)近くの公衆電話とかからかけていて、乗り込んで来る数秒前ってこと? ……そもそもこんな俗な話じゃない???
酔っ払って夜中にぐだぐだ電話掛けて来て、昔ジョーニーに贈った詩の文句までめそめそ言っちゃうアーサーは、(リーの言葉によると、ジョーニーを尊重してないみたいだから、直に関わり合いたくはないけど、)ちょっと可愛い。
8.「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」
十九歳の夏、ひと夏の痛々しい黒歴史。ここまで自己愛に振り回されていると、いっそ清々しく、愛おしくさえありますね。
通信教育、とりわけ芸術の通信教育の運営の難しさについては、さもありなん。義父の恋人も、会ったことのないシスターも、自分に焦がれていると信じて疑わないのは、この年頃の青年にはありがちなことなのか?めちゃくちゃな嘘八百を並べ立ててでも、自分が価値ある存在であることを立証しようとする熱意、その嘘を半ば自分で信じかけているという、その熱に浮かされやすさは、若者の特権だと思う。(両親がピカソの友達、年代大丈夫なの?とよぎったけど調べてみたらその辺は抜かりなかった)
彼をこの経験に送り出せた義父ボビーは、それが息子を持て余していたゆえに出来たことだったとしても、彼を一人前の大人として扱っていると言えて、彼がその経験から無事に戻った以上は、親としてきちんと勤めを果たしていたという気がしますね。
9.「テディ」
輪廻転生って仏教の思想ですよね……?自分の死期を悟り宣言するのはキリスト教的な気がする……? (宗教的無知が露呈。あとで調べる)最後の晩餐で裏切りを指摘した時のイメージが強いからなんだけど、否、私が不勉強で知らないだけか、などと重箱の隅をつついて結末から逃避する。
テディ、最初はサリンジャーの自己投影かなあと思ったんですよね。これだけ人間を描き映すことができる人ならば、生きていくの大変だろうなと思って。「自分は子どもの頃から天才で、家族含め周囲とは一線を画しており、達観して人々を観察してきたのだ」とでも思わなければ、己を守れないと言うか。読んでいるうちに、そんな俗世の話ではないと示されてくるわけですが。
この話でもマカードル氏とニコルソンは今にも暴力を振るいそうな存在として幼子テディの傍らにいるわけで、この手の緊張感は、読書の集中を妨げる程度には苦手だなあ……。ニコルソンは、最後までほぼ犯人だと思って読んでた。
あれだけ諭された後に結末を嘆くのは、テディに「僕の話聞いてました?」と言われそうだけど、否定できる余白は残っているものの、結末はやっぱり惨事だよ……。
『ナイン・ストーリーズ』(J.D.サリンジャー著・柴田元幸訳・河出文庫)