『カハタレの現在地Vol.2―カハタレの分身計画―』を観てきました。
カハタレさんに限らず二年ぶりにくらいに演劇を観たのですが、久しぶりの観劇にはなかなかハードな公演でした。座っていれば自動的に(受動的に?)楽しめるエンタメ作品とは違い、観客側もアンテナを張って意図を探しに行かなければ何もわからぬまま置いていかれてしまうかもしれないという緊張感が、たのしくもあり、怖くもある時間でした。
今回のような客席と舞台がフラットなタイプの公演はやっぱりすきだなあと思いました。大きな劇場の公演に比べて観客も一緒に場を作っている感じが強いと言うか。
私が憧れた平成末期のアングラ演劇(?)は最前の桟敷で役者を見ていると役者の方が視線を合わせてくる(メンチ切ってくる)くらいの暴力的な感じがたのしかったけど、今回の公演はにこやかに社会性の仮面を携えつつ、やってることは通ずるものがあるのかもなあと思ったりしました。より観客にも責任があると言うか。
つらつら考えてみたところで私がきちんと汲み取れたかは自信がないのですが、せっかくああでもないこうでもないと考えたのでこちらに記しておきます。
(こういうのは上演後飲み屋とかで言うのがいいんだろうな。でも多分すぐにはまとまらないし、そもそもひとりで行くのでした)
私が行ったのは5月17日(土)の公演だったのですが、会場となった月花舎はふだん喫茶営業もしているということなので、今度神保町に行く時に行ってみたいなあと思いました。ちらりと見えた調度品がすてきでした。
以下雑感。『分身中毒』は6月の公演でも上演されるそうです。内容に踏み込んでいますので念のため。
カハタレの演劇『分身中毒』
ワタシダA子(の友人)が語る、ワタシダA子のいつものように始まらなかった一日について。日常の地平から始まったはずのA子の話だが、ワタシとタワシとワタガシとワンタンとワンパンの可愛らしい言葉遊びに微笑んでいるうちに、ワタシはワタシタチ観客にまで浸透して来る。
そしてワタシしかいなくなった。
それってちょっと否かなりホラーな状況なのではと思うんだけど、あっけらかんと物語は幕を下ろす。
でもまあ普段の世界だってワタシはワタシの目を通して世界を見ているわけで、それはつまり「ワタシだったら」この人はこうするという世界な訳で? つまり最初から、A子版鴨志田さん、A子版渡辺さんしかいなかったのだから極論A子しかいなかったということ……なのか?
私信・きちんと収束するビーフシチューのおまけ、すきよ。
カハタレのパフォーマンス『幕間』
大手ゼネコンの営業さんかな。取引先からの電話をしながらサラリーマン風の方が現れる。最後までしゃべらせてもらえない感じがリアルだ。電話応対中に思い出しちゃったじゃないですか。片側しか聞いていないのに、相手方とのパワーバランスが見事にわかる。仕事の話から変わってあの女の子を次の飲み会に連れてこいの下りで、相手先にはわからない程度に、わずかに忌避感が滲んだ気がした。呼ばれている人を案じているのかな。
電話が終わるとおもむろに靴を脱ぐ。彼は電話中に階段を昇っていたのですが、高いところに上がったサラリーマンが靴を脱いだらもうこれは飛び降りだなと思う。でも、鞄から真っ赤なハイヒールが出て来るんですよ。……え?
理解の補助線として本が読み上げられる。曰く、ジェンダーとは、本質ではなく行為である。ハイヒールを履いて、階段を下る。
ジェンダーと言われてみれば、冒頭の電話は非常に男性的であったということに思い当たる。男性社会に絶望して、女性的な行為を行ってみるということなのか。本質が女性的とはほのめかされていなかったので、女性を自認しているということではなく、あくまで男性であるという自覚のまま、行為だけを踏み出すということなのか。行為だけで、女性になりたい、というよりは男性でありたくないということを実現しようと、否、そんなことで実現できるとは思っていないけれど、世界に対するささやかな反逆として、ハイヒールを履いて階段を下るのかもしれない。
※本とハイヒールの順番がちがったかもしれない……
書店演劇『遊星Dのバンデ・ア・パート』
突然聞かされた断片でも、知っている話になると解像度が上がるのが面白い。手持ちの本をみんな読んでしまって二巡目になると、知らなかった話も知っている話になる訳で、ただこれは書店ではなく喫茶店、アウェイ戦だから起きた意図しなかった現象だと思うんだけど、私が感じられたわかりやすい変化としてはそのくらいのもので、つまり本来の形であると観客は一体何を観るのだろう?
本を拾い読み上げる方は、孔雀柄のワンピースを着た美しい方で、「ここで二分休憩」の宣言の時とか会場に凛と声が響いていた。現実の地平では出会わない人間離れした印象だったのだけれど、読めない字があると(読めない設定なだけかも)観客に聞いてみたり、コーヒーを飲みながら観客に代読させてみたりと、観客を巻き込んで行く。近くには来なかったのでその時彼女が揺らぐのか――観客に照れて微笑んだり、表情で困っていることを伝え助けを求めたりするのか――までは見えなかったけど、どうだったのかな。見たかった気もするし、近くでやっていたら私はたぶん緊張してしまうので、遠くでよかった気もする。
可愛らしいワンピース姿でありながら、アルミ箔を頭と手足に巻いたなかなか異様な風体の、西洋甲冑モチーフなのかなという格好の方も登場する。西洋甲冑さんは液体の入ったペットボトルとプラスチックのカップを準備すると、観客ひとりひとりにカップを渡し透明な液体を注いでいく。私から一番遠い位置から始まったその動きで、少なくとも西洋甲冑さんが観客全員に液体を渡すまではこれは続くのだ、と理解する。コップを渡し、液体を注ぎ、握手をして、去る。ゆっくりとした動作が、砂時計の砂の要領で時を計る。そうなると小心者の私のさがで、きちんと自分の番が務められるか不安になってくる。持っていたドリンクの瓶はどうしよう、と関係ないところでそわそわしてしまう。他の人がやっているのを見て頭の中でやり方を確認したりする。……何やってるんだ。
※ふんわり何かを持ち帰ったような気がしたけれど、どう受け止めるべきか今ひとつ自信がなくて過去の公演のレポートを漁ってしまったらより自信がなくなりました……
『分身中毒』以外はちがう演目ですが、まだ残り公演あるそうです。
カハタレの演劇『分身中毒』(作:稲垣和俊/リライト:小倉/リライトのリライト:稲垣和俊/演出:柿内正午/出演:丹澤美緒)
カハタレのパフォーマンス『幕間』(作・演出:南出達行、Mori N./出演:南出達行)
書店演劇『遊星Dのバンデ・ア・パート(構成:梢はすか/演出:旦妃奈乃/出演:こっちゅん)