生成AIによる創作は独創か剽窃か:道具としてのAI観・人間の代わりとしてのAI観【Vol. 001】

Suzuki SV
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背景

生成AIによる絵画や音楽などの創作に対し,元作品に対する感謝なり敬意なりが感じられないことがある。これは生成AIが生身のアーティストの作品を剽窃して創作しているように感じられることもあるだろうが,生成AIが「人間の代わり」の存在とみなされ,「人間の代わり」に創作を丸投げしているように感じられるからではないだろうか。これにより創作者は創作物に意図を込めるという行為をさぼっているように受け取られるということではないかと考える。

上記の例では生成AIは「人間の代わり」に創作行為を自動化(オートメーション)させた存在とみなすことができる。ただ,生成AIをあくまで道具とみなし,人間の創作能力を拡張(オーグメンテーション)させた存在とみなすならば,生成AIはあくまで道具であり,そこに創作者の意図が込められたものとみなすこともできるだろう。

問いたいこと

問題はこのオートメーションとオーグメンテーションの違いは,創作物の受け手側の視点でどのように生まれるか,ではないか。そしてこの違いは明確にどこかで分かれるわけではなく,人間と人工物の境界の受け取り方に関する不気味の谷現象の研究でもみられるような,何らかの形でグラデーションが表れるものと捉えている。

たとえば絵画の創作を対象に検討するならば,絵画の創作に必要な作業を洗い出し,その作業について熟達の困難さを評価し,その評価に応じて「人間が行う作業」「AIに任せる作業」の分担の違いによる「AIを道具とみなす感覚」「AIに丸投げしている感覚」の知覚の差をみるような研究で,このグラデーションを明らかにできないだろうか。

私にできること

私の過去の研究についてはResearchmapを参照されたい。

学生時代に取り組んできたのは,上記の例でいえばいわば「AIに任せた状態」にあるようなCGキャラクター(身体化エージェント)に対するユーザーの応答や印象評価に関する研究である。AIの研究室に在籍しながら認知科学・実験心理学の研究に従事してきたため,AIの技術的な現状を把握し問いを深めながら,実験計画・分析まで関わることが可能である。

考察の深化・研究の実現に向けてのお願い

この問いについてはまだ関連研究の掘り下げが不十分という手応えである。とりわけオーグメンテーション側の研究から考察するアプローチにまだ弱点があると感じている。また,これらの背景に関する哲学的な考察もまだまだ必要と思っている。実験の形で進めるのであれば,議論を深めながら研究の実施環境が整えられる共同研究の申し出があれば,研究として形にしたい。

@svslab
人間の考える行為・問う行為に興味を持ちながら分野間を漂う学者による探求ノート。ひとつの分野に腰を落ち着けられない学者の思索にも,何か意味が見いだされることがあるかもしれないという期待で書き続けます。 lit.link/svslab