攻殻SAC_2045の結末と最近の世界の話

卯月
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※攻殻SAC_2045シーズン2、劇場版『最後の人間』のラストをネタバレしています。

いろいろ解釈を生んだ攻殻SAC_2045のラスト。素子さんは果たしてコードを抜いたのか抜いてないのか問題。

ネトフリ版を見終わった時は、いろいろ解釈できるけど抜いたと思ってました。SAC1期『映画監督の夢』で、「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある」って素子さん本人が断言していたから。

それが、劇場版『最後の人間』のラストを見て、あれ!?これは絶対抜いてないじゃん!ってなった。かなり明確に答えが出てた。パンフでも神山監督が「抜かなかったと思います」ってハッキリ言ってるし。

正直、ええー…と思った。最初は。結局全ては現実にしかないわけで…夢に逃げることを良しとせずに、現実で戦う強さを持ってる素子さんが好きだったから…夢を良しとしてしまったら、それは(特にSACの)素子さんじゃなくない!?

ただ、この間押井監督と神山監督の舞台挨拶があって

「『映画監督の夢』の頃の素子だったら迷いなく抜いていた」

「年月が経って、世界の状況もあの頃とはかなり変わっている」

っていうことを神山監督が言っていて。

そこで改めて今の世の中の状況を見ると、どんなにこの先頑張っても、解決することはなさそうな、詰んでる問題はたくさんあるなあと思ってしまった。

パレスチナとイスラエルの問題とか、こじれ過ぎてどこからどう手をつけたらいいか分かんないし、どこで折り合いをつければいいのか分からない。そもそも折り合いをつけられるのか、つける気があるのかも分からない。時間が経てば経つほど人は死んでいく。まさかこの期に及んで大国が侵略戦争を開始するなんて夢にも思ってなかったし。

人間、愚か過ぎる。

それならもう、現実は現実として生きながら、個々人の頭の中で最も安らかな状態を保ち続ける(=ダブルシンク)状態になるのが、世界が持続可能性を保ち続ける唯一の方法なんじゃないか。

それぞれの脳の中で、プーチンには世界征服でもして満足してもらって、イスラエルの高官たちには自由に国土を広げてもらう。

摩擦係数0の世界で、誰もが最も穏やかな精神状態で暮らしていく。

人類がその段階まで至れたら、最早それは一時的な現実逃避ではなくて、紛うことなき進化なのかもしれない。〝現実〟にこだわる価値も薄れていく。だってもう、現状で無理なものは無理なのだから、別の手段を見つけないと。

〝社会を公平に保つ〟という矜持を胸に、世界と対峙し続けている、夢と現実の差がほとんどない究極のロマンチストであるところの素子さんの目にも、確かにそれは人類の進化として映ったのかもしれない。

あなたはどうする? 私はどうしよう?

人類補完計画みたいに自他の境界が溶けてLCL化してしまうわけでもなく、それぞれが自我を保ち続けながら他人との摩擦を起こさない社会って、もしかして〝正解〟なのでは? 最初は有り得ない!とか思ってたけど、悪くない気がしてきた…拒否反応も、結局のところ人間は変化を嫌う生き物っていうだけなのかもだし…

SACはいつも時代の少し先を行くけど、2045でもやっぱり、これから必要とされるものをしっかり描いていたのでは。

ところで、ちょっと違う話。

「2045でSACは終わりなのかも」っていう感想をちょこちょこ見かけるし、大塚さんの発言とか初日舞台挨拶のあっちゃんの様子とか見てると、声優さんたちもその覚悟してるんだろうなって感じるんだけど。

一方で、神山監督は機会さえあれば全然次を作るつもりがあるように見えるし、実際SAC20周年記念イベントでも「その年に(大塚さんたちが)演じられるバトー、素子の脚本を書くつもり」って言ってたし。

パンフでも「シリーズの〝先〟があるとしたら、N化した世界の方がより現実を映し出せる物語を展開できるとも考えました」って言ってくれてる。

確かにそうなのかもと思う。全部元通り、の方が物語に先がなさそう…

全てがNになったあとも、きっとバトーさんみたいに世界の状況に気づく人が現れて、葛藤したりするんじゃないかしら。もしくはもっと別の切り口があるかもしれないし。

とにもかくにも続けられるなら絶対続いてほしい。神山監督が描く攻殻SACをずっと追い駆けていたいんだな~~まだSACイノセンスができるって信じてるので…

うーん、攻殻SACは人生(結論)