ある人には「あなたはいつもキラキラしている」と言われ、ある人には「光がなくてミステリアスだ」と言われた。
他にはクールな人、おっとりとした人、気品のある人、清楚な人、勇ましい人、物静かな人、活発な人 だとか。そこにはいろんな私がいた。
人によって自分の見え方が違うことに、面白さを覚えたのは最近のことで。どれもなりたかった、本当の自分だと思う。
人から抱かれる印象が全員同じなんて少ないだろうに、それでも違うということは恐ろしかった。周りの物差しにあわせてそれなりにそれらしく、例え心は反っていても、凡そみんなの共通認識を纏った姿は、採寸は合わないけれど右にならえで安心できた。どんどん窮屈になっていくのに。
どう見られるかを気にしすぎたせいで、勝手に随分と不自由に。お洋服も、メイクも、言葉だって、私の姿で私じゃなかった。本当に思い描く姿はこうで、ああで、それで、色を拡げては混ぜて加えて捨てて、繰り返していけばあっという間にわからなくなった。自分探しどころか迷路に足を踏み入れてしまった気分。感情が巡るだけで考えることが苦手だったのだと思う。
かわいそうでかわいらしい。
過去の自分が身に纏っていた物、残した文章を処分しながらそんなことを思った。
なんにでもなれる。否、なんにでもなれると言い聞かせることで、ぐらつく足元に力を入れて地面を踏み締めるかのように立っている。いつでも崩れ落ちそうな脆さだけど、座ってリラックスしているように見せる。見せたい場面はここだと力強く。ぴったりに抵抗するこの形はどうだろう、戦う対象が自分以外の誰かから、自分に変わっただけの話だったり、今は自分が嫌いな自分になることが誰よりも何よりも許せない、そんなどうしようもない意地でもある。
見せるべきと見せたいはいつも天と地の差。どの面が表に出ている時が魅力的なのか興味が湧いてきた。ここから先は腕の見せ所だ。
今週の戯言です。