リゴッティ "LES FLEURS"。断続的に続く日記形式で、語り手と花屋の女性Daisyのロマンス?が過去形で語られる。語り手は彼女の前に別の女性Clairと交際していたようなのだが、どうやら現在時ではその女性は行方不明となっているらしい。語り手は何らかの不気味な?彫刻や絵画を制作するアーティストらしいのだが、その詳細については言及されない。はじめは死んだかも不明なClairの墓に供える花を探しに行って意見を聞くことでDaisyと仲良くなった語り手は、やがて彼女を部屋に招くが、部屋には花は一切なく、彫刻についてはなぜか彼女に見せず隠そうとする。だが、見つかってしまうと感想を聞こうとする。彼はその後Daisyと旅行に出かけ、酔った後で深夜に暗闇の楽園?のビジョンを彼女とともに幻視し、その印象を尋ねたり、自宅で絵画作品を彼女に見せたりする。
不気味な絵画作品は彼自身のアパート内部に似た空間を描きつつ、見るものの視覚を望遠鏡を覗くようにその外部に誘うものとなっている。窓の向こうには地球上の自然とは全く異なる外部の眺望が開けている。外部には、煌びやかな色彩とビロードのようなジャングルの形をなす豪華な王国、歪んだ虹やねじ曲がったオーロラが見える。彼女は「すごくいい」とか「とても現実的だ」といった感想を述べるが、男はそれを地の文で完全に否定する。唐突に男は、彼女は彼が何らかの集まりに参加していることを、もちろんすでに知っていると語る。だが、彼はいつか彼女に真実を示す日を望みつつも、その真の意味をぼやかしつつ彼女に集まりやそこでの議論の概要を要約しているとのみ述べる。
その二日後には集団で緊急の会合が催され、外部の人間が秘密の、奇妙な王国について知りすぎることに集団の構成員たちが大きな懸念を示したことから、どうやら男はDaisyとの関係を清算したらしいことが語られる。男は自らが作った彫刻を眺め、かつてDaisyが舌に似た花の付属物?としてそれを見て、何をモデルにしたのかと問われた際に沈黙を貫いたことを振り返り、それこそが集団の目的であったとする。冒頭と末尾には、花が送られたという事実とその時間が、謎めいた形で記される。
一本目とは全く異なり、かなりラブクラフトに近い文体と構成で、しかも彼以上にややこしい仄めかしが多用された極めて難解な短編。謎の集団の会合と奇妙な王国の描写はいずれも肝心の部分がぼかされているため、その正確な関係性や内実は不明瞭。外部とつながったカルト的集団というモチーフは極めてラブクラフト的。また「クトゥルーの呼び声」あたりを思わせる不気味な彫像の描写もなかなか怖い。花が送られたという手短な報告が、部外者である語り手の交際相手たちの死を暗示しているようにも読めるところも不気味。ラブクラフトのアイディアを超絶技巧で展開、発展させる方向性と考えるとまあしっくりくるのかも。
夕方から渋谷で珍しく新作二本。
ヴェンダース『PERFECT DAYS』。企画成立過程のウンコぶりはなかなか凄まじいものがあるようだし、今更必要以上にありがたがるもんでもないだろうとは思うものの、劇中の役所広司よろしくクソまみれの素材を綺麗に仕上げる地肩の強さはさすが。親戚の娘とのくだりが小津すぎるとか、謎の石川さゆりなど意味不明オリエンタリズムがダダ漏れすぎるとかスカイツリー何回映すんだとか気になるところも多々あったが、東京の撮り方という点では『東京画』よりも良かった気も。あとどうでもいいが写真屋役で柴田元幸が出演していたのには面食らった。
起床から歯磨いて水やって外出て(なぜか部屋の鍵は頑なに閉めず)缶コーヒー買って車乗って出発までの流れ反復のリズムはなかなか心地よく、特に歯磨き強調との関係でなぜかハネケ『セヴンス・コンチネント』を思い出した。途中からは最後に急に『ハプニング』みたいに笑顔で木に車で突っ込んでルーリードが流れてくれたら傑作、と思って観ていたが当然そんな展開にはならず。音楽、しかもテープに頼るのもやらしいなーとは思ったが曲はどれも悪くないし、おそらくヴェンダースと撮影監督も何も悪くないのだろう。ネットでの感想もいくつかチェックしたが、とりわけ木漏れ日や企業案件クソトイレの撮影で常にレイヤーの重ね合わせに焦点が当てられている点に近年の3D志向との関連を見出す議論には大いに納得させられた。
杉田協士『彼方のうた』。過去作はどれも好きだったのだが今回は全く乗れず。必要以上に説明する必要がないのは当然だが、じゃあなんでもぼかしておけばいいのかと言えばそんなはずもないだろう。小川あんが何かしら暗部を抱えており主に関わる二人の人物とも過去になにかあったらしいことが匂わされるものの、彼女や周囲の人物たちが表面的に行っていること、映画に登場する大半のシーンは、ぬるいワークショップやら芸術教室に通ったり昼飯を作って馴れ合っている文化好きのほのぼのとした日常以上のなにものでもなく、一切興味を抱けなかった。おそらく前作へのいちゃもんに生真面目に応答してしまった結果なのだろうが、必要以上に登場人物のマスクを強調した撮影にもげんなり。見えるもの/見えないものの関係とマスクの存在をある程度重ねようとした意図もあるのかもしれないが、だとしても上手くいっていないし端的に不要な演出だろう。ほのぼのぶりからの暗転のコントラストを強調したかったのだとしても、あの日常バートで映画が持つという前提がありそうなのがキツかった。
もやもやを解消するためにイーライロスの新作も観て帰ろうと思ったが、テレビかなんかに出たせいかあの兆楽に行列ができており、回転もさほど早くなかったので食べてたら間に合わず。すごすご帰宅。