記憶が吹っ飛びとんでもない二日酔いになった昨年の反省を生かしてヘパリーゼと水を昨日から飲んでいたおかげか、すんなり起きられた。おせちと寿司の残りをいただいて、囲碁将棋の新年ラジオを聴きつつ再び近所を散歩。昨日とは別の店の初売りものぞいてみたが収穫なし。二足履き潰したアメリカ製ニューバランスを買い直そうかとも思ったが、物価高のせいかセールでもとんでもない値段でやめた。
そのままの流れで今日まで無料だという写真美術館で新年初展示。三つのうち二つは若手展とコンペ展で、いずれも作家がステートメントのような文章で次作を説明する形式になっていて非常にげんなりさせられた。わざわざ文章ではなく写真という表現を選んだはずの作家たちに、わかりやすく自作を要約する文脈やコンセプトを淀みなく提示するスキルを求めようとする美術館側もどうかと思うし、器用にそういう仕事をこなすタイプの作家も信用できないなと感じる。コンセプトありきならそもそも撮る必要あるのか、という疑問も。特に地下の海外コンペは社会学の論文か科研費やら学振の申請書のような文章ばかりで閉口させられたが、そんななかでも星玄人の西成パートとインドのラジャスタン地方を撮ったガウリ・ギルの写真だけは一枚ずつ時間をかけて見た。写真に惹かれたのか、西成やインドの田舎にいまだに自分が幻想を抱いているだけなのかははっきりしなかったが。
売店で見かけたので金川晋吾『長い間』を。父の次は伯母。途中で一年ぐらい撮影期間が空いた後の数枚だけ、なぜか突然鬼のような表情に激変していてたまげた。『father』で失踪後の父の首まわりが急に筋肉質になっていた写真にはかなり笑った記憶があるのだが、今作の豹変箇所はむしろめちゃくちゃ恐かった。写真集後半に掲載されていた文章では著者もやはり顔の変化に驚いていたが、例によってかなりのスルースキルを発揮して大して気にしていないようにも思える筆致で、被写体以上とは言わないまでも同じぐらい得体の知れない人だなあと改めて。
夜は中学からの友人と焼肉。飲み過ぎず台湾茶で締めるも、昼まで寝たせいか朝方まで起きてしまう。