気質にまつわる反省文

T.O
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私は元々依存気質である。

人に期待する。寄りかかる。無言で「次」や「いつも」を求める。そこに返されるものが無ければ怒りや不満を覚える。そしてその怒りや不満で他者をすり減らす。血がつながっておらず、私の人生にも言動にも責任を取る必要がない他者をだ。最悪である。ただただ最悪である。

最悪なのでどうにか脱せまいかと試行錯誤をしてきた。

自分の人生に他者は関係ない。他者の人生に自分も必要ない。

誰もがそれを当然のこととして、自分一人の足で立っている。ひたすらそれを言い聞かせ、認識し、自分に叩き込んできた。数年かけて認識を叩き直し自戒し続けて、ようやく自分も依存気質を抑え、適度な孤独感を必須のものとして受け止められるようになってきた気がする。

他者に拠らず、自分の感情も孤独感も、自分の手でコントロール出来るようになるのは良いことしか無かった。他者にもたらされる 否 自分が勝手に他者で作る不満も不安も無くなった。

そうこれだ。「自分が勝手に他者で不満を作っている」のだ。

依存とはそういうことだ。任せ期待し寄りかかり、自分の足で立とうとしない癖に、勝手に他者に不満を覚えるのだ。字にすると本当に最悪だなオイ。

そうした「関わることで自ら不満を作り出す」ような人間と関わると、関わった人だって不安になるし苛立ちが生じる。逃げ出したくなるのに、逃げたら何をされるかわからなくて怖いとも思うだろう。悪循環しか生まない。

自分が依存気質なので好き勝手ボロクソ言っているが事実だろう。実際に私がそうしてトラブルを起こして来た前科は積み重なっている。

巻き込んできた人に向けられる面など無い。掛けてきた迷惑の罪悪感で潰れそうなどと加害者が被害者面をするな。自ら肝に銘じておかなければ、絶対にまた同じことを繰り返す。「次こそは良い人間関係が」などという甘っちょろい幻想はない。絶対にありえない。自分が変わらない限り。

折角得た視点や思考力・判断力や、人との間に持てるようになった距離感を、「元来の気質」などと甘ったれた意識で手放すのは愚行が過ぎる。私はこの道がいい。やっと獲得できた、この荒涼とした独りの世界で、より良くなっていきたい。

それがもたらすのは、自分だけではなく他者の幸いでもあるんだ。