枕元にファンタジー

T.O
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ポケモンスリープが気になって中途覚醒してしまう。ほぼ確実に目が覚める。

本末転倒極まりない!! でも寝てる間にどんなポケモンが来ててカビゴンに何を食べさせられるかが気になるんだよ!!

そんな訳で、最悪2時間半で目を覚まして計測を中断してしまうことがある。

そういうアプリじゃないからこれ。寝れば寝るほどリザルトのボールの色が変わってレアリティの高い寝顔が観測できるんだよ。わかっていても、元々中途覚醒しがちな性質を追い風に、睡眠時間を削ってでも遊びたい心の底の小学生が、成人した自分をシバき起こすのである。やめろやめろ 大人にそんな元気はありません。今になってみると、毎週末、1日中昼寝をしていた両親のことが理解出来る気がする。

そうした睡眠時間の確保による回復が切実に必要な大人が、睡眠を切実に要する理由の一つに 脳の回復があることを、最近痛切に実感している。

眠気を取り除き、体を軽くする。日中の活動力や集中力を得る。家事や作業の取り掛かりを早くする。建設的な思考力と判断力を保つ。そうした健康な日常が、十分な睡眠によって得られることは勿論なのだが。

睡眠がもたらすメンタルへの影響力が、とりわけ尋常ではないのである。

冒頭のように短時間で中途覚醒した場合、朝目が覚めてシームレスに浮かぶのが、昨日の自分の行いへの猛烈な後悔なのだ。

ミスキーに身を置くことで気軽に人と関わり、コミュニケーションを取れるようになった。ちょっとした感想ならばリアクション一つで送り、喜ばせ合うことが出来る。そう ミスキーデザインならね。

そうした些細な働きかけですら後悔する。

軽率な自分を悔い、人との距離感を誤った不安と罪悪感が思考を支配する。昨年くらいまで、自分が四六時中苛まれてきた感覚がこれである。

このせいで人を信じることも距離感を測ることも出来ず、常に不安と不信に付きまとわれ、関わってくれた人にずっと迷惑をかけ続けてきた。十分な睡眠時間の確保があらばこそ、自己嫌悪や働きかけへの後悔が無くなることを理解出来たのは、つい最近になってからだった。

ほんの数時間の二度寝で、この全てが掃われるというのだから有難い話である。一度目が覚めてしまったのならやむなし。ポケモンスリープの計測を終了し、集まっていたポケモンを記録・選別し、木の実と食材を回収してカビゴンに朝食を食わせてから、もう一度計測を開始して二度寝する。なんか小学校や保育園に子供を送り出して二度寝する保護者みたいだな。(勿論そんな生活が出来る人ばかりでもあるまい。どうか皆、隙を見て、休息や自分の時間を確保できるよう祈るばかりである)

睡眠時間を随意に調整出来、それ故に心身を保ちながら仕事も出来る。現在の生活に至れたからこそ、前向きに かつ精力的に活動出来るようになっていることには違いない。

この無理がない生活を出来る限り長く続けていたい。十分眠れていない自分がどうなるかなんて、嫌というほど理解している。

そうした中途覚醒の自己嫌悪を、ルーティンの多さとポケモンの可愛さで紛らわし、寝直すことも否定されない。この二度寝ありきのサイクルも、ポケモンスリープによって支えられていることは確かなのだろう。そう考えると、ポケモンとトレーナー(ここではリサーチャーだが)が支え合って生きるという、あの世界の日常の延長線上に、現実の今ここが存在しているような気がしてくる。

数十年ぶりに再会した相棒は、今でもポケットに収まるくらい小さい端末で、こちらの指示を待ちながら傍に居る。そしてそこで、遊び足りなかった小学生の頃の自分をあやしてくれているのかもしれない。きちんと眠って大人になれるように。