知性と理性の高い壁

T.O
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経済的自立なくして独り立ちは無い。

精神もまた然り、精神的自立が無ければ一人になることも出来ない。

心理学は精神や感情、心の働きを占い判断するものではなく、むしろ「人間生態学」が根本にあると思う。生態によって本能が作られ(これは鶏が先か玉子が先かでもあるが)、本能に基づいた思考や感情の働きが発生する。それを理解した上で自律する方法を考えるものなのではなかろうかと自分は考える。

そうした前提で見ていくと、そのうち知性や理性という言葉のハードルの高さを実感するようになった。

「人間には理性と知性があります」などとのたまいながら、群れ生物の習性に基づいて孤独感に苛まれ、寂しさで痛みを覚えるなど噴飯ものである。本能に負けてんじゃねえか 知性も理性も。

自身の覚える孤独感や承認欲求を本能と断じ、本当に知性と理性があるのなら本能を抑えることが出来る などと考えるのもただの暴論でしかなかろう。

だが、生物として必須にして至上であり、存在の目的として本能に備わる繁殖欲求を、これだけリスクや加害性を考慮して避けることが出来る個体も多いのに、他の本能が抑えられないなどということがあろうか? 俺は否と考える。

精神的自立とは、自身の本能に克つことでもあると思う。真に知的で理性を持つ人はその域にあると思っている。(もちろん多面的であってこその人間であるから、この一面に於いては理性が働いているがこの面に於いては全く駄目 ということもあろう)

言い聞かせることなくして、自分をしかと自立させることが出来るようになる域には、自分はまだ届いていない。こうして言葉にしている時点で、自分を罵り自分の愚行を否定する言葉の裏付けを探しているだけに過ぎまい。だが、掘り下げる切っ掛けなんてそのくらいでいいと思う。

掘り下げなければ考えを深めることも視野を広げることも出来はしない。始まり方に良しも悪しもない。結果さえ出るならどうでもいいことだ。