
フラクタル:どれだけ拡大や縮小しても元と同じような形がいくらでも見つかる性質を持つ図形。
それは密教の概念とも通ずる。
密教以前の浄土教は「私たちは死んだ後に今私たちが生きている宇宙とは別の場所にいるブッダに会うことができ、解脱できる」と考えたが、密教は「私たちがいる宇宙とは別の宇宙にブッダがいても、ブッダが自らの映像を私たちの世界に送ってくれるので、死ななくてもこの世界で生きたままブッダに会うことができる」と説いた。
それを可能にするのは「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」を中心とした世界観で、ブッダはそれぞれ違う世界にいながら「盧舎那仏」という一つのブッダにネットワークで繋がっていて、私たちの世界に投影されるブッダを供養すれば別の世界に無数にあるすべてのブッダを供養することになる。

↑東大寺の大仏は盧舎那仏を具現化したもの
ちなみに、盧舎那仏を中心とするブッダのネットワークの概念はインターネットの仕組みとも共通している。
密教において盧舎那仏は全宇宙であり、全宇宙は盧舎那仏であり、この密教の世界観は「一即多・多即一」と表現される。(「一緒くた」という言葉は「一即多」から来ているという言説もある)
つまり、一の中には全てが含まれ、全てはある一つに収斂され、その構造は、フラクタル構造そのものを指す。
「一」は「無限」であり、決して「全体」として一括りにはされない。
そしてそれは美しい。