ふり

やまなか
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毎日何かをやっているふりをして生きている。

最近はLLMが台頭してきて時代の潮目が変わっているのを実感する。日常の中にもAIが取り入れられ始め、実際の業務においても活用する場面も増えている。コーディングする際には、コードの書き出しからAIがその先を予測し、プロパティ名を考え自動的に入力補完される。こんなに便利な時代に、実際は仕事をしていないのだから、もどかしい気持ちがあったし、もっと便利にして世の中から仕事を奪ってくれないかと妄想するようになった。

毎日朝遅めに起きて、対して何もしないくせに一端にご飯だけはしっかり食べる。昼間はパソコンに向き合い調査だの作業だのと歌いYouTubeを見てTwitterのタイムラインを眺めるのが席の山。どうしてこんなにも退屈した日常に飽きもせず何をするでもなく漫然と日々を過ごすことができるのだろうか。刺激のない同じように1日を繰り返し、変化もなく繰り返すばかりの一生を受け入れることなどできないにも関わらず、心の底ではこの堕落した安心感を享受して愉悦を感じている。

人は役に入ればその役割をこなすようになる。生まれた時から何者かであるなんていう人間はいない。科学者やアスリートやどんな職業人だとしてもその人が宇宙に求められて生まれてくる。本人の圧倒的な努力に裏打ちされ、道が開かれ知らず知らずにその役割をこなせるようになっていくのだ。全人類が同時並行的に「Role Playing」しているに過ぎない。

私も私を演じている。エンジニアという職業人で、海外で働いてきたが日本に帰ってきた。うだつの上がらない日々を過ごし、状況打破したいと勉強しているが、結果を生むほどの努力を怠っている。それが現実であり、自分が選択した役なのだ。

人が夢を持つのは生きる希望を持つためだ。地獄のようなこの世界を生きていくには、一生を費やすに値する目標を抱き、この世界が天国かのように望めばなんでも叶うと信じるほかない。これまでの人生がどんなものだったかは関係ない。ここから這い上がり、目標に到達するために何をすべきかを考えるのだ。たとえそこにどんな苦難が待ち構えていようと、自分自身がその夢を叶えるために生まれて生きたと信じ、その役割を全うできるふりをする。その瞬間までふりをし続けることで周りはあなたを本物だと錯覚するだろう。知らないうちに、ふりをすることなく夢を叶えていたことに気がつく。