アルゴリズムが最適化されて自分の見たい動画がどんどんとおすすめに流れてくる。特に見たいと思っていたわけではないはずが、どうしてか指が動いている。iPhoneからアプリは消したはずが、ブラウザでURL直打ちからの長時間視聴、いわゆる中毒状態だ。
お酒よりもよっぽど中毒性があって危険な気がします。もっと制限を強めないと社会生活に影響が出てきかねない。これはアプリが違うだけで若者がTikTokにのめり込んでいるのと同じ状態だ。いわゆるドーパミンが放出され続けていて、次から次へと入ってくる情報に脳は刺激を受け、心地よいと感じてしまっている。さらに、倍速で見ているから達が悪く、もっともっとという欲求が湧いていたことが自分でもわかる。
欲望を自制しなければ。動画をたくさん見る中で学びになったこともあり、皮肉にも自制心が何よりも大事だと言っていた。ダラダラと動画視聴を続けた結果、そんな当たり前のことに気づきを得たなんて言っているうちはどうしようもなくだらけきっているし、意識の低下を否定することはできないが、少なくとも現状の自分にとって足りていないことや、取るべき行動がはっきりしたのではないかと思っている。
昔からテレビっ子で親に叱られるくらいには食いついて見ている幼少期だった。小さな家庭の中から見る、遠く離れたテレビスタジオでお茶の間を沸かす芸人達、知らない世界で挑戦を続けるタレント、さまざまな社会を擬似体験できるドラマ、それはそれは斯くも輝いて見えたし憧れていた。あくまでも視聴者に情報を届けることが大前提で、その中に笑いもあれば涙も悲しみも含まれている。
大人になったからと言って、受動的に享受できるコンテンツ消費を止めることができない。それは年齢に関わらず、手っ取り早く楽に時間を楽しめる手段だ。否定しているわけではないが、能動的にアートを作り出す立場でありたいと常々思っている。アートの形態は一般的な芸術にとどまらず、どんな仕事の中にも作家性は存在する。独自性なんてものに目を向けるまでもなく直向きに自分に向き合い、感情を作品に昇華すれば自ずと結果はついてくるものだ。たまたまプログラマーだからと言ってそれしかできないわけではないし、専門性を極めた先に新しい扉が開けることもある。消費するだけの人生はつまらない。人生を自分に投資し、経験値を最大化する。そして、その感情がアートの創作へと進化する。