Apple Vision Proに心が踊らない

やまなか
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昨年6月にAppleが発表したMR(Mixed Reality)デバイス、Apple Vision Proが早くて1月末にリリースされるという噂が流れている。直感はまだだろうなという感想は置いておいて、実際それほどワクワクしていないのが実情だ。

ソフトウェアエンジニアとして働き始めてすでに5年以上が経過していて、特にAppleプラットフォームとの関わりも深く、AR/VRにも興味がありつつも手が出せていない状況だった。そんな中で新しいプラットフォームができるということで、この大波に乗らないでいつ乗るんだというくらいの5年に一度の千載一遇のチャンスである。発表当時から半年ほどが経過し、APIの調査や実際にデモの開発はしてみたけれど、どうにも身が入らなかった。それは初期プラットフォームにおける手の届かないドキュメント不足や、自身のスペック起因の開発者体験の悪さか要因は複数考えられるせよ、しばらく触れて辞めてしまった。

そもそもMRという新しい世界の扉が開くこの時に飛び込む勇気と好奇心は元々持っていたはずだ。ARがこの社会にもたらす影響はそれほど大きくはなかったような気がするが、ともかく時代は切り開かれこれから大きな産業の一つになる。これまで2Dの世界に閉じていたあらゆるアプリやキャラクターが現実世界と同じではないにせよかなり近しいレイヤーの中で存在するようになる。人々の生活は激変し、さらに人間同士がつながりを意識し、コンピューターが日常を効率化させる。誰もが一度は夢見たSF映画の世界は目の前まで来ており、あらゆる価値観が一変する激動の時代の到来と言ってもいいだろう。その一角となるテック企業の雄、Appleが参入するとなれば誰もが期待し、一枚噛みたくもなるだろう。

実物を触っていないから、デバイスがどう仕事や生活に影響するのかわからないからなのか原因はありそうだけれど、須く興味を持てない原因は根本的にテクノロジーに対して辟易しているところにいる。進化のスピードがおよそ自分のキャパシティを超えて、資本主義の世の中で成功するためには追い続けなければいけないことは百も承知だ。けれど、お金を追いかけることに意味がないと悟った時、元手となるその知識を身につけることは困難だ。人間本来の生活と自然、そして科学技術との折り合いをどうやってつけてこれからの人生を歩むのか。それが喫緊の至上命題である。