コンプレックス

やまなか
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最近自分のコンプレックスに向き合えたので備忘録。

iOS専門のエンジニアとして数年やってこれた。いくつもの偶然と幸運の上に成り立っていることを忘れてはいけないが、ずっとiOSだけをやっていることを不満に思っていた。世の中にはたくさんの技術や分野があり、具体的にはWebやバックエンド、さらに言えばデザイナーからPM、業界を超えて士業や芸術領域など、多方面へと羨望の眼差しを向けてばかりだ。美しいUIがあるとデザイナーになりたいと思い、とあるコンサートに行けば感動し音楽をやりたいと思う。当たり前のように人は千差万別で適材適所なわけで自分が関われない世界が五万と存在するわけだが、傲慢にも自分のいる世界が小さくとるに足らぬものに思えて仕方がなかった。

アプリを作っているとは言えど、頑張れば誰でもできると思っているし、ChatGPTの隆盛に始まりプログラミングの敷居はさらに下がっていくだろう。しかし、電子楽器やガレージバンドが普及して誰でも音楽を作れるようになったこの時代に誰もがやっていないのと同じように、プログラミングも誰もができるが全員がやるわけではないのだろう。「プログラミング言語」というインターフェイスに触れる機会は断然少なくなっていくだろうが、自然言語でアプリケーションを作り上げていくのもごく限られた人間が行う作業であり仕事になるのかもしれない。

プログラミングを生業にし続けることに恐怖を感じていたのが正直なところだ。けれど、それは近視眼的で対極的な見地に立ってみれば瑣末な感情の揺れである。セネカが言うところの「目標がないから不安になる」と言う状態を身をもって体験したと言える。30代に入ったからか現実を直視するようになったのか、ある程度諦めがつき結局は自分ができることを精一杯やるしかないと言う結論に至った。プログラミングは手段で目的じゃないとは言いつつ別に手段の目的化をしてもいいし、自分に与えられた役割を全うするために続けてもいいのではないかと思えるようになった。折角割り振られたスキルを活かすも殺すも自分次第で、得意なことに出会えたことは幸運以外の何者でもないのだから。

クリエイティブなことをしたいと言う割に、何がクリエイティブなのかを言語化できていなかった。一般的にプログラミングはその部類に入るし、やりようによってはたくさんの人に影響を与えることもある。その事実に目を背けながら、やれ音楽だ、やれ絵画だと、隣の芝が青々と茂っているのを指を咥えて眺めているだけだった。一度立ち止まって考えて直してみるとそこには広大な敷地といつでも駆け回れる自由が広がっていた。コンプレックスは他人と比較するから目立つように見えるだけで、視点を変えればなんてことはなく、もっと言えば強みである可能性もある。人間万事塞翁が馬。人事を尽くして天命を待つ。配られたカードでくたばるまで戦おう。