生産的活動忌避的習慣

やまなか
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やりたいことがあるのに始められない。TwitterやYouTubeを見てダラダラと過ごし今日もまた1日が過ぎていく。もう十分に堕落した生活は楽しんだし今年は心機一転したいと思いつつこれまで積み上げてきた習慣の魔力を易々と払いのけられるほどの精神力を持ち合わせていなかった。やりたいことと言っても仕事に関連することでもなく長年思い描いていた夢への第一歩というかクリエイターとして生きたいのなら避けては通れないしむしろその作業自体を楽しめないようならそもそもやってはいけないのだろうが部屋の中をうろうろしてパソコンに向き合うことを避けている。プログラミングを始めた頃は毎日のように椅子にしがみつき試行錯誤しながらも牛歩のように知識をつけていた。一朝一夕で頭に入っていたものなんてなかったが長年の努力による賜物でなんとかお金を稼ぎ食い繋いでこれた。お金を産むことだけが生産的なわけではないことは百も承知だが、どうしたってこの現代社会で生きていくためには重要でどうやって稼ぐかを念頭に置かなければ好きなことをするなんて、夢のまた夢である。お金を稼ぐためにエンジニアになったようなものでこれが自分の夢の果てだなんて思いたくない節がある。十分にクリエイティブな職業ではあるのだが、どうにも長時間コードを書いているだけで社会とのつながりや自分の役割を実感することができず、不安感と焦燥感に襲われ発狂しそうになるのだ。生きるとはまさに仕事に人生を捧げることであり、誰かの役に立つことで自己肯定感は保たれる。しかし、アウトプットの先にいる人々の顔が見えない仕事を生業としている人たちは得てして同じような悩みを抱えがちなのではないだろうか。そうして労働時間以外の間の気力はいつの間にか奪われていて、脳みそのリソースを使う余裕もなく何もしないことをすることで正気を保つ。日々の生活をするのがやっとの状態から、どうして新たに生産的活動ができようか。活力を得るために休息をとるはずが、知らず知らずのために習慣となりやらない状態がデフォルトで設定されてしまう。こんなところで習慣の恐ろしさ、または強力さを知ることになるなんて思ってもみなかった。脳の報酬系をハックし、生産的活動をしている最中の方がダラダラしているよりも楽しく、幸せであると思わせるほかない。そのために活動を始めなければいけないが、きっかけもなければ始める手立てもないのが現状だ。