最近ちょっと考えたこと。日本では、博士課程へ進学する学生が減少する、という、世界のメインストリームとは逆の流れが起きている。日本は低学歴化している。理系もさることながら、文系なんて激減なんじゃないかしら。
大学院って学費が高いわりに就職に有利でもないから、というのがよくある答えなのだけど、そしてそれは悲しいかなたしかに日本ではそうだし、でもそもそも企業が博士学生を採らないのがなんでやねんと思うけど(扱いに困るらしい)、それ以外の話を以下に。
文系博士課程の学生は、きっと病みやすいのだ。途中でフェードアウトする人も多いんじゃないかしら。なぜなら基本、孤独な戦いだから。共著ってのもあるけど、基本的に論文は一人で書く。単著のほうが業績として認められやすい。そして論文を仕上げる過程で、指導教員とのマンツーマン議論に耐えねばならない。この段階での厳しいツッコミにも耐えられないような議論は、論文にはならないので。だから指導教員との相性の良し悪しがとても重要なポイントになってくる。
当然、研究分野が近い人が指導教員になるわけだけど、自分がしようとしている主張に、先生も賛成の立場だとは限らない。わたしの場合はベーシックインカムだけど、これはかなり賛否の別れるテーマだ。主張内容には中立に、きちんと理論が組み上がっているか?をしっかり見て指導してくれる先生なら良いけど、中には「そんなものには反対だ」というあからさまな態度で対応してくる人もいる。だから、「いやぁそこ批判されても、そう言ってる先行研究が実際あるんだよね…」と、こちらには響かないツッコミというか、屁理屈にしか思えないことを言ってくることも。
そういうとき、私みたいに社会人もやっていろんな経験もして年齢を重ね、人生を多少達観したくらいの人なら、「何か言ってんなあ」くらいに聞き流して、でも参考にできそうなところはとり入れる、みたいな生意気なことができる。でも、もしストレートで進学した学生さんだったら…?
20代半ばでまだアルバイト程度でしか社会に出たことはなく、学校の中の世界がほぼすべての若者には、指導教員は絶対的存在だ。その人に見放されたら研究者への道が閉ざされる(と思ってる)わけだから。このときの葛藤ってものすごいストレスだと思うのよ。
文系で博士に行こうっていうような殊勝な人なのだから、知的好奇心と向上心、熱意、背後の意図を読み取るちから、繊細さなどを持ち合わせているはず。そういう人が羽ばたこうとしているところへ指導教員によって圧力がかけられたとき、何くそと反動にしてより素晴らしいジャンプができるか、ストレスに潰されてしまうか。
かつては、研究者って職人の世界と似たところがあって、教えるというよりは背中から学べ、見て盗め、みたいな。で、いま研究者や教授になってるような人って、わりとそういう世界を生き抜いてきた世代で、ある種「選ばれた人たち」なわけで。知力、体力、精神力のどれもに恵まれているスーパーヒューマンというか。特に、一流大学の院だとそういう先生が集まってるんじゃないかな。だから、できない人のことがわからない。優れた研究者であることと、素晴らしい指導者であることは、決して同じではない。
「できるやつだけついて来い」では、そりゃ余計に文系博士は減るよなぁ、などと思っているのであります。ちなみにわたしは適度なレベルの地方国立大学だし、もともと持病があって知的労働を目指したって先生が多くてわたしの体調のこともよく分かってくださる方が多いので、恵まれた環境にいられてるなあと思っているよ
ところで理系は、研究室でチームを組んで実験やら分析やらをすることが多いらしくて、そのぶん人間関係のゴチャゴチャとかがあるだろうけど、文系ほど孤独な戦いにはならないんじゃないかな。あと理系博士は、文系よりはるかに就職に有利だし!