高等教育のはなし

tabitocco
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発達障害とか知的障害グレーの子が、とても生きづらい。小学校、中学校、高校へ進学する際に、あるときから特別支援学校に進むことを選ぶか、なんとか「普通」コースに食らいつくか。いったん特別支援学校コースを選ぶと、そのあと「普通」に戻るのはかなり難しいらしい。それで、限界だと思うまでは、なんとか「普通」でがんばろうとする(親もがんばらせようとする)ようだ。

そもそも、高等教育であるはずの高校に、ほぼ全員がストレートで進学しなきゃいけないこと自体がおかしいと思っている。高校に行かなくても、充分に食べていける生き方が、普通の選択肢としてあるべきだ。そして高校は、本来の高等教育機関の役割をきちんと果たすものであってほしい。

達成度が6割以下なら単位は出ない。単位が取れなければ普通に留年する、卒業もできない。そうすれば、高校を卒業した人はみんな、少なくとも得意教科なら中学生に教えられるくらいのレベルになっているはず。

なんなら義務教育にも留年制度があって良い。留年って名前が良くないなら再チャレンジとかでいい。外国にはそういうのがあるらしい。「また留年したら、来年は妹とおんなじ学年になっちゃうよ〜笑」って言ってるお兄ちゃん、とかもいるらしい。

たとえば算数なら、分数とか割合、はやさの問題ができないまま進級する子どももわりといるのだけど、それができていないと、進級だけしても次の学習内容が入ってこない。そのまま中学に進んでも、どんどん落ちこぼれてしまう。

勉強ができることとその人の価値は、全然イコールじゃないと思っている。学歴が高いから仕事ができる、低いからできない、なんてことも全くない。でも現状の社会の構造では、高卒以上じゃないと食える仕事にはほぼ就けない。だからみんな高卒の称号が必要になる。先生たちも、学習の達成度云々より、なんとかダブらせずに卒業させることに専心しなくちゃいけなくなる。

大学についても事情は似ている。真剣に学問をする場所、4年という時間を使って自分の学びたいことに自分なりに取り組む場所ではなく、就職予備校みたいになっちゃってて、3年生から就活を始めてなんやかんや忙しく、4年生前半までに内定がとれたらあとはもう卒業できれば成績なんてどうでもいいので、卒論を適当に書いて終わり。先生たちも、内定あるのに卒業できないなんてことはあまりやりたくないというかできない(学生も企業も困る)ので、よほどじゃなければ卒業させる。そうやって高等教育の質が下がっていく。

何が言いたいかというと、できるだけ将来の安定した生活を確保するため、つまり福利厚生とか賃金の良い企業に雇用されるためには、ストレートで大卒もしくは高卒という称号が必要で、そうすると学習内容とか達成度より卒業することが第1目標になっちゃうから、教育の質が下がる、学生は学習意欲が低い、先生もモチベーション上がらない、ってのは本末転倒すぎやしませんか、ということ。いやもちろん国内トップレベルの高校大学だとまた話は別でしょうが、中堅以下ならだいたいこんな感じじゃないかと思います。

で、これを根本的に解決する可能性があるのがベーシックインカムなんじゃないの、と思う。とりあえずの生活が保障されてれば、みんなもっと自由に動けるはず。中学卒業して働いてみて、やっぱり勉強したいと思えば高校に行く。学生のモチベーションが高い、先生もやる気が出る。大学だって、何歳になっても、行きたいと思ったときにチャレンジする。

勉強に限らず、あんまり儲からないけどやりたい仕事に打ちこむこともできる。保育とか介護、小さな個人商店の経営、伝統産業の継承、地方で農林水産業をやるとか。普通の「こうでなきゃ」みたいなコースから外れて、自分が今どうしたいかを常に考えながら生きることができるようになる。

まぁこれはポジティブな面しか見ていませんが、ベーシックインカムのある世界の理想って、こういうことだなって思います。

とりあえず今日はここまで

@tabitocco
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