「いいね」が歪めたもの

たぶん劣等
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とあるnoteの記事でこのしずかなインターネットのことを知った。

自宅にインターネットが来てもう23年以上経過したが、ネット=明るい未来だと思っていたものが、ネット=面倒くさいものに変わった。

その理由はしずかなインターネットを利用する人ならおそらく理解しているはずだ。

「文章書き散らしサービス」

「ここでは有益な情報を書くことはあまり求められていません」

これはこのサービスを立ち上げたcatnoseさんの言葉だが、本来インターネットはそういうものだった。自分もそういう付き合いをしていたが、いつのまにか息苦しい空間へと変貌していった。

息苦しさの最大の理由は「いいね」の出現だろう。

この「いいね」が全てを歪めてしまった。

気楽に他人を肯定でき、同じくらい簡単に他人を否定(低評価)できる。

多分得たものよりも失ったもの方が大きいはずだ。だから多くの人がこの静かなインターネットに逃げてきた。

有益な情報を書けばいいねがもらえて、それを積み上げれば収益がもらえ、さらに積み上げればインフルエンサーに祭り上げられる。そしていつか炎上して自分の無益さを露呈して終わる。人が発する情報は本来無益であっても全然いいのだが、無理をするからそうなる。

検索しても上位に表示されるのは、有益な情報でなくなってきた。最近は外国人が書いたであろう機械翻訳の日本語の文章が上位に表示されることも増えてきた。残念ながら得るものは何もない。有益な情報を追求しすぎた結果だろう。

いいねという感情に罪はないが、それを数値化することの罪は大きいと思う。

人の考えに一対一(マンツーマン)で向き合えなくなるからだ。

文章を書き散らしていいんだよ。

そんなcatnoseさんの後押しを受けて、文章を書き散らすことを決めた。

収益や有益に縛られない書きたいものをここに書きたい。

誰かが読むかもしれないし、誰も読まないかもしれない。

そんなインターネット黎明期のスリルがここにはある。

ただ一つ確かなことはだれも「いいね」しないということだ。

それが最高に気持ちいい。

最初の記事は自己紹介から始めるのが定番だが、書きたいものを書くサービスなのだからこれでいい。自己紹介も気が向いた時に書く。

なぜ今日始めたかだけ記しておく。

今日は建国記念日で、何かを始めるのにちょうどいい日だと思ったからだ。

@tablet
少しでも前向きで生きられるよう自分のネガティブさと向き合っていきたい