最近自分の記事を読み返してみて、あたしってこんな面があるのかと気づいたものがある。たとえば、人からどう見られているかを気にしているところ。それと、やたらと心配しすぎるところ。あれなんか「心配してもしすぎることはない」みたいな定型文なかったっけ? S can't be too carefulだ。どうでもいい。記事の内容だけでなく言葉遣いからもなんとなく人柄がふんわり浮かび上がってくることもある。この人はこういう雰囲気の人なんだな~って。だからあたしは人の文章読むのが大好き。あたしの言葉遣いからはどんな印象を持たれるのかしら。そういえばうちの高校では年度末に、各クラスからひとり選ばれた計21人がそれぞれ1年間を振り返って文章を書き、それを生徒会誌として発行している。あたしは人としてすごく大好きな子がいるんだけんが、LINEでも対面でお話するときでも、とにかく言葉選びが秀逸で魅力的。そんな彼女が生徒会誌委員会で書いた文章が本当に面白かった。3年間同じ委員会を選んていたから、毎年生徒会誌が発行されて読むたびに今年の良かったよ! と必ず伝えち。卒業アルバムの寄せ書きには「○○ちゃんの書く文章が大好きなので、もし本を出版したら連絡ください」と書いたくらい。彼女とはよく本の話をするのだけど、この前穂村弘をおすすめされて読んでみたら面白くて、現代短歌にハマった。もともと小学生の時から俳句と川柳はたまーに作っていたものの、短歌だけはあまり馴染みのない分野(そのわりに百人一首はよくやっていた)だったから世界が広がったし、自分で短歌を作るようにもなった。人に見せられるほどの腕前ではないからノートに書きとめている。短歌ではないけど最近読んだ「鼻を食べる時間」という自由律俳句(著者たちによればエロ自由律俳句だそう)の本。あれは良かった! あたしの知る限りだと尾崎放哉とか種田山頭火とか河東碧梧桐あたりが有名なのかしら。実はそういう人たちの自由律俳句はあまり好きではないのだけど、あの本からは有名どころとは違った趣が感じられて意外と面白い。日常のちょっとした瞬間の切り取りかたが見事。生活のいろんなところにエロが潜んでいることに気づいて、読み終わったあとは一時期何でもかんでもエロさを感じるようになってしまった。エロ自由律俳句だなんて聞いたことも見たこともないと思うけど、まえがきの「この本をきっかけにエロ自由律俳句という言葉を共有できる関係になれることを楽しみにしています。」という文があって、とってもどきどきしちゃった。やだもうあたしったらはしたないことを~! ところでこれ何の話だっけ
春めいてきたけど寒さが残っていて、いまだに半纏を手放せずにいる。
テレビに綺麗な女性が映っていて、「あの人綺麗」とつぶやいたら、それを聞いた母が「その人はお笑い芸人で、ララランドのサーヤっていうんだよ」と教えてくれたから、どんなネタやってるのか気になって "ララランド お笑い" で調べてみたら、まず名前が違った。ラランドのサーヤさんだった。ララランドは映画ね。
息を吸うと、ひゅー、みたいなすきま風のような音が鳴る。へんな病気じゃないといいけど。
ジョイマンがピルクルのcmに出てた! あたしもピルクルミラクルケアしてくる!
大学の手続きのあれこれで郵便局に行った。結構面倒だね、書かなきゃいけないものいっぱいあるし、印鑑が違うだけで拒否されちゃうし。