両親が離婚すると聞かされたとき「じゃあ名字が変わるのかな」と思った。嬉しくはなかったが、それに対して深く感慨を抱いた覚えもない。ただちょっと、慣れ親しんだ環境が変わってしまうことに対する不安を感じただけだった。
父がビッグマックを片手に泣きながら離婚のことを子どもたちに伝えたのは、私が小学校を卒業した直後のことだった。「もう限界なんだ。ごめんな」と言った。珍しく家に帰ってきて、私と妹の好きなマクドナルドを手土産に持ってきたのは「そういうこと」だったんだと納得がいった。両親が別れることはまったく不思議じゃなかった。父が家に帰らなくなってから、もう何年も経っていたからだ。今さら辛そうに涙を流し「ごめん」と言う父の態度のほうがよっぽど不思議な気がした。
母はほとんど何も話してくれなかったので、いつ離婚が成立したのか私は知らない。まだ義務教育の終わっていない子ども2人を1人で育てることになり、朝から晩まで働いても、経済的な困窮に頭を悩ませピリピリしていた母は、私と妹にとっては「触らぬ神にたたりなし」だった。その時に生じた「家族」の歯車のズレは、成人して実家を出た後も私たち3人をギクシャクさせ、一方で失った絆を修復するための定期的なコミュニケーションを重ねる原動力にもなっている。
30歳になった私は今もまだ父の名字を使っている。
大人になってからわかったことだが、離婚後3か月以内に届け出をすれば、旧姓に戻さずに結婚時の名字を名乗り続けることができるのだそうだ。母は子どもたちに与える影響を考慮して、自分の生来の名字に戻さずそのままにしてくれたのかもしれない。あるいは、母は自分の親族との縁が完全に切れてしまったようで、一時期までは交流のあった母方の祖母の話もまったくしなくなったので、旧姓に戻りたいとも思わなかったのかもしれない。今も何も話してくれないのでわからない。
昨年、妹が結婚した。名字を変えたのは世間の「常識」に違わず妹のほうだ。母が(おそらく)家族のために残してくれた名字を名乗るのは、私と母の2人だけになってしまった。もしも私が結婚して、名字を変えてしまったとしたら、母があのとき選んだ(選ばされた?)名字を名乗るのは、母一人になってしまう。それを思うと、ひどくつらい気持ちになる。
夫婦別姓に反対する人が使うお決まりの論調「親と子の名字が違うと家族の一体感が損なわれてしまう」に賛同するつもりはまったくない。妹は名字が変わったが、間違いなく私と母のかけがえのない家族だ。逆に父と私は離婚後も名字が同じだったが、家族とはもう思えなかった。今は何年も会っていない。LINEのプロフィールを見るに、なんと再婚して名字が変わったようだ。いよいよ名字によって維持される「家族の一体感」とはなんなのかわからなくなる。誰かがそこに実際以上の意味を求めるのは勝手だが、1つの型を定めてそこに収まらない人を排除するような制度のあり方は、個人を傷つけ、悲しませる。いらない苦労や軋轢を産んでしまう。
私は、母との関係も含めたこれまでの人生への思い入れを自分の名字に委ね、愛着を抱いている。だからこそ、今は名字を変えたくないと思っている。
当時、夫婦別姓を選ぶことができていたら、父と結婚したときの母が自分の旧姓を使い続けたかどうかはわからない。結果は同じだったかもしれない。むしろ元から名字を変えたいと思っていたのかもしれない。でも、今の私が名字を変えたくないことだけは、確かな事実なのである。