私にとって「名字」とはなにか

tada111000
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公開:2024/3/7

両親が離婚すると聞かされたとき「それじゃあ、名字が変わるのかな」と思った。嬉しくはなかったが、深く感慨を抱いた覚えもない。ただちょっと、慣れ親しんだ環境が変わってしまうことに対する不安を感じただけだった。

父がビッグマックを片手に泣きながら離婚のことを子どもたちに伝えたのは、私が小学校を卒業した直後のことだった。泣きながら「もう限界なんだ。ごめんな」と言った。珍しく家に帰ってきて、私と妹の好きなマクドナルドを手土産に持ってきたのは「そういうこと」かと、納得がいった。両親が別れることはまったく不思議ではなかった。父が家に帰らなくなってから、もう何年も経っていたからだ。今さら辛そうに涙を流し「ごめん」と言う父の態度のほうがよっぽど不思議な気がした。

父から話があった後も、母は普段通りでほとんど何も話してくれなかったので、いつ離婚が成立したのかは知らない。しかしその頃の母はまだ義務教育の終わっていない子ども2人を1人で育てることになり、朝から晩まで働き経済的な困窮や不安に頭を悩ませピリピリしていたので、私と妹にとっては「触らぬ神にたたりなし」だった。その時に生じた歯車のズレは、今でも家族3人をギクシャクさせ、一方で、定期的なコミュニケーションを重ねる理由にもなっている。

しかし、名字は変わらなかった。30歳になった私は、まだ父の名字を使っている。

大人になってからわかったことだが、離婚後3か月以内に届け出をすれば、旧姓に戻さずに結婚時の名字を名乗り続けることができるのだそうだ。母は子どもたちに与える影響を考慮して、自分の旧姓に戻さずそのままにしてくれたのかもしれない。あるいは、母は自身の親族との縁が薄かったので、旧姓に戻りたいとも思わなかったのかもしれない。今も何も話してくれないのでわからない。

昨年、妹が結婚した。名字を変えたのは世間の「常識」に違わず妹のほうだ。母が(おそらく)家族のために残してくれた名字を名乗るのは、私と母の2人だけになってしまった。もしも私が結婚して、名字を変えてしまったとしたら、母があのとき選んだ(選ばされた?)名字を名乗るのは、母一人になってしまう。そのことを考えると、別に母は気にしないかもしれないが、私はひどくつらい気持ちになってしまう。

夫婦別姓に反対する人がよく使うお決まりの論調「親と子の名字が違うと家族の一体感が損なわれてしまう」に賛同するつもりはまったくない。妹は名字が変わったが、間違いなく私と母のかけがえのない家族だ。逆に父と私は離婚後も名字が同じだったが、家族だとはもう思えなかった。今では何年も会っていないが、再婚して相手の姓を名乗ることになり、名字が変わったらしい。それを知ったのは父のLINEのプロフィール欄だ。私と母が使い続けていた「父の名字」は「父が使っていた名字」になった。

いよいよ名字によって維持される「家族の一体感」とはなんなのかわからなくなってくる。名字を統一することに、誰かが実際以上の意味を求めるのは勝手だが、1つの型を定めてそこに収まらない人を排除するような制度のあり方は、個人を傷つけ、悲しませる。いらない苦労や軋轢を産んでしまう。

私は、母との関係も含めたこれまでの人生への思い入れを自分の名字に委ね、愛着を抱いている。だからこそ、今は名字を変えたくないと思っている。

当時、夫婦別姓を選ぶことができていたら、父と結婚したときの母が自分の旧姓を使い続けたかどうかはわからない。結果は同じだったかもしれない。むしろ元から名字を変えたいと思っていたのかもしれない。でも、今の私が名字を変えたくないことだけは、確かな事実である。